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手伝ってくれるのではなく、同じ生活をする

10月の時、ゼミで車椅子のアプリについて知るようになった。その時から普通に歩いてきた地下鉄の改札口などをもう一度見るようになった。以前までは、見えなかった車椅子専用の改札口などが見えるようになったのだ。今回ゼミの後もずっと考えてみるようになった車椅子のアプリを通じて昔に見たドキュメンタリーを思い出した。

昔、車椅子を乗っている人や視覚障害者のドキュメンタリーを見たことがある。視覚障害者を手伝ってくれるため、視覚障害者の腕を捕まって一緒に歩こうとした人。視覚障害者の立場で見ると自分の障害のため、道をいけないと判断したと思うこともでき、急に知らない人が自分の腕を捕まったら怖いと感じることができる。確かに手伝ってくれたかった人は優しい考えでその行動をしたかも知らない。しかし、自分も知らないうち差別をしてしまったのではないか。

車椅子のアプリは、アプリを通じて多数の人が情報を交流しながら作られている。私は、誰かが手伝ってくれるのではなく自分も共有することで情報を持って普通に出かけをして外食をするようになるのだと考えた。
普通だと考え、今まで見えなかった目線をもっと広く見たら普通だと考えたのが普通ではなかったと感じられる。私は、マイナーの人たちも同じ普通の生活ができる環境を作っていくのが大事だと考えた。

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