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最近の記事

寒くなってきた。

何かを考えるのが嫌で、そういう時間を減らそうという努力ばかりしてしまい、映画や小説や漫画をそういうことに使うのはよくないなあと思いながら、ずっとそういうものに逃げ込んでいる。 集めた資料も捨てられずに、整理もできずに、部屋が散らかっていて、早くなんとかしなくてはと思っている。でも焦っても仕方ない。少しずつ丁寧にやるしかない。 生き方すべてが間違ってるかも、という気持ちがずっとぬぐえないけど、そうすると今まで見てきたものや好きだったものを否定することになる気がして、そこまで

    • ひとつのミスですべてを否定されてもひるむな

      大学院中退します。 今日正式に内定先にも話したので、気持ちを整理するためにもここに書くことにします。 中退という結論は一番避けたかったのですが、なぜやめるのか、というと、かけないだろうというご指導がはいったからです。というか、たぶんそこで自分に負けて、書けないという結論を受け入れてしまった。なにくそ、という気持ちになれなかった。 3年かけたのに、とか、なぜできなかったんだろう、今からでも頑張ればなんとかなるんじゃないか、とか諦めの悪いことを色々思うし、なにより自分がやり

      • 自分を増やす

        心はいつもぶっ壊れている。 そうとは悟られないように、即席で身につけた社会性のパントマイムを演じて、つかの間ほっとして、未来なんて確証のないものを手に入れられると錯覚している。 日常という曖昧なものに飲み込まれて、目の前で起こることや、起こるかもしれないことの価値を見失ったら負けだ、と思いながら、いつもへらへら笑って自分の言葉や思考を簡単に放棄する。「どうすれば正解なのかがわからないので」、と明らかな不正解だけを塗りつぶすと、あっという間に迷路に入った。当たり前だ。どうし

        • きょうのできごと

          理由は色々あるのだけど、とにかく鬱屈としていて、あまりオプティミスティックな気持ちになれない。誰かに対して私が言ったことは片っ端から忘れてほしいし、そもそも誰かと会うこと自体、相手の時間を無駄にしているような気になってしまう。 書いたことについても消してしまいたくなるけど、頭の中で生まれてしまった言葉は、なかったことに出来ない。なら、もういっそ放流してしまえ、と思い、支離滅裂なまま日記をタイプしている。 全て知っているつもりでも、どうにもできないこともある。 同居をして

        寒くなってきた。

          ルービックキューブの話

          昨日、理由もなく気分がふさぎ込んで仕方がなかったので、本棚にあったブコウスキーの「死をポケットに入れて」をお守り代わりにして、よっこらしょ、と思いながら家を出た。 “わたしは人生に痛めつけられていて、調子を合わせてうまくやっていくことができない。” という一文を駅のホームで見つけて、ちょっと救われた気分になり、えいっと電車に乗れた。(だけじゃなく、気付け薬としてレッドブルも飲んだ。) 電車に乗るという作業は、私が「社会」と捉えているものに、物理的に足を踏み入れる象徴的な

          ルービックキューブの話

          アンフレンデッド

          終始居心地のよい人間関係なんていうものは、ごくわずかの幸福な例外を除けば、きっと幻想の中にしかない。コミュニケーションというものはあらかじめ不完全なものなので、どんなテクニックを使っても伝えられるのは言いたいこと・考えていることの、ごくごく一部だ。だからこそ、多くの場合意図しない形で自身の真意が伝わっていくことを避けられない。そんな不完全なコミュニケーションの結果として少しずつ壊れていく関係もあれば、随時補修していく双方の努力によって続いていく関係もある。しかし、それはもう、

          アンフレンデッド

          永い言い訳

          欠点を指摘されるのは痛いことだ。欠点ゆえに起こった、色々な過去の失敗を思い出してしまう。 その痛みのさなかで、欠点を抱えたまま生きていけるのではないか、という淡い期待と、欠点を改めなければ成熟など出来ないのかもしれない、という実感を彷徨い、改善まではいかなくとも、せめて欠点を抱える人間として、自身の弱さを肯定できないだろうか、と目論む。 自分の弱さと向き合う術として、芸術があるとすれば。 それは絶望の海を泳ぎきるための細い一本の藁でもあり、掴んでしまったが最後、それはこの

          永い言い訳

          ファニーゲーム

          夢を見る。内容は、覚えていたり、いなかったりする。 起きてからまどろむつかの間、あれは夢の話だったのか、それとも現実にあったことなのか、よくわからなくなる。 映画も夢のようだなあと、ふと思う。エンドロールが終わり、館内が明るくなるあいだは、この気持ちや感情が、自分の中にもともとあったものなのか、お話によってつくり出されたものなのか、理解できないまま境目でふらふらしている自分を見つける。 映画の話をしたい、映画について書きたいと思う一方で、映画によって揺さぶられた感情が大

          ファニーゲーム