自分を増やす

心はいつもぶっ壊れている。

そうとは悟られないように、即席で身につけた社会性のパントマイムを演じて、つかの間ほっとして、未来なんて確証のないものを手に入れられると錯覚している。

日常という曖昧なものに飲み込まれて、目の前で起こることや、起こるかもしれないことの価値を見失ったら負けだ、と思いながら、いつもへらへら笑って自分の言葉や思考を簡単に放棄する。「どうすれば正解なのかがわからないので」、と明らかな不正解だけを塗りつぶすと、あっという間に迷路に入った。当たり前だ。どうしていつもうまくいかないのか、理由は薄々気づいている。ただ、覚悟だけがいつも足りないのだ。


大森靖子ちゃんのユリイカ特集、給料日から1週間、5件本屋さんを回ってやっと手に入れた。

書き手の愛を詰め込んだ文章のすべて、インタビューで書き起こされる靖子ちゃんのいつまでも変わらない言葉と姿勢に救われたと同時に、不感で見えないことにしていた<私何やってるんだろう、てかなんで頑張れないんだろう>がじわじわと浮き彫りになって、朝からゾンビのようだった感情が良くも悪くも生き返る気持ちだった。それでも。誰のどの言葉の輪郭で立ち上がったとしてもやはり靖子ちゃんは尊く、道重さんが靖子ちゃんに宛てたきらめく文章を妹に音読していたけど、途中でこれは完全な覗き見だと気づいてしまってあとは黙読した。この輝きの外側にいるという意識が拭えない。

分不相応の夢を捨てきれず、かといって全力で向かっていく体力もなく、宙ぶらりんのまま25歳になった。人生で一番混乱している。

「馬鹿みたい」だと、誰よりも自分が自分に対して感じてしまう。馬鹿を隠そうと道化になるなんて、本物の馬鹿である。


自分の言葉が足りないなら、可視化させれば良いと、今は思っている。だから今日も日記を書いてみた。誰かの言葉につぶされずに明日も生きようと思っている。

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