子どもの姿の許容範囲

昨日、子どもと保育実践研究会の冬季セミナーに参加しました。

こんなご時世だからオンラインで。


西井さんの実践提案がやはり面白くて、どうしても過去の西井さんと今の自分を重ねながら話を聞いてしまっていました。

行事や活動の見直し。

「既存の枠組み」や「例年のやり方」というワード。

特に強く共感したのは、

自分の中で子どもの姿の許容範囲を広げていくことで生じる他の職員との考え方のズレの部分。

1つ前のnoteの投稿でも書いたように、僕自身、藤棚に子どもが登ることを許容して見守っていたことに対して「それやっちゃダメってことになってるから」と先輩職員から言われたことが今でももやもやと心に残っていますが、まさにここだな、と。


当たり前ですが僕自身が考えている子どもの姿の許容範囲は、他の職員の許容範囲と必ずしも重なるとは限らないということ。感覚で感じていたことを西井さんが「許容範囲」という言葉で示してくださったことで何となくすっきりしたのでした。

西井さんはこの自分と他者の許容範囲のズレ(正確には保育に対する考え方のズレ?でしょうか)を”オモシロイ”と感じ始めているとのこと。すごいなぁ。

よくビジネス書とか自己啓発本には「一人の考えで進めるのは危険!」とか「全員がYESのアイデアは疑いなさい」なんて書かれていたりするけれど

保育者が子どもの姿を許容する範囲のズレ

これがただズレとして存在しているだけでは、おそらくお互いの価値観の否定になってしまうのかもしれないですね。

今の僕はたぶんそこにいる気がします。

藤棚の件のように、自分が許容している子どもの姿に「え?それってどうなの?」と口を出してくる職員に対して

「うるせぇば~か!」と思ってしまう自分がいるのも正直なところです。「毎年決められたことを無難にこなしやがって!」とも。笑

けれど、もしかしたら僕からは見えていないだけで、その保育者にはその保育者なりにこれまでにないチャレンジをしている瞬間があるのかもしれない

とか

自分のやり方が本当に子どもにとって良かっただろうか、と振り返ってみようかな

とか

その保育者同士のズレとズレを議論したり、自分自身の考え方を見直してみたりすることを通して、お互いのズレを認め合えるようになると、そのズレが保育の多様化や多角的に子どもの姿を見る視点に変わっていくのかな、とも思いました。


そういう意味でも西井さんのお話は次の扉を見せてくれたと感じています。

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