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ダメってことになってるから

私の勤務園(幼稚園教諭7年目、現在の園は勤務して半年)には、かなり立派な藤棚があります。
高さは地面から1番上の繁っているところまでで3mほど。延べ面積は15㎡くらいはあるでしょうか。

この藤の木は、鉄パイプで大きな幹を支えられながらも元気に育っていて、夏場は子供達を暑い日差しから守る良い日陰になってくれています。

その鉄パイプは年長の子供が手を伸ばせばやっと届くくらいの、少し頑張れば登れるちょうど良い高さ。

好奇心旺盛な子供達は、当然のようにその鉄パイプ部分に登ろうとします。
登れる子半分、登れない子半分と言った感じ。

私のクラス(年長児)の女の子が数名鉄パイプにチャレンジしようとします。
運動が得意なTちゃん、Sちゃんや身軽なRちゃん、Yちゃんは軽々と登っていくのですが、少し身体の大きなHちゃんは苦戦していました。

「先生が手伝ってくれたらいいじゃん!!」

と時折口を尖らせていましたが、私は自分の力で登れないところは登らない方がいいと考えていたので、手は貸しませんでした。
Hちゃんが周りの子にどんな風に力を借りるのか、見てみたいという思いもありました。



しばらくすると疲れたのか、Hちゃんは登ることをやめ、他の子が登っている姿を眺め始めました。
すると、登るのが得意な子が手だけではなく、足をうまく使っていることに気がついたようで、

「あ〜あたし、わかっちゃった!」

と言ってもう一度鉄パイプに手をかけました。
コツを掴んだらしく、先ほどまでよりも明らかに成功しそうな勢いです。

しかし、無情にもこの日は片付けの時間。
藤棚に登るチャレンジは一旦終えなければなりませんでした。


翌日。
藤棚のことなどすっかり忘れている私。
その日は、他の子供達とセミを探して園内を歩き回っていた時でした。

「先生!!Hちゃんが呼んでる!」

とクラスの女の子がすごい剣幕で私を呼びに来ました。

呼ばれて着いて行ってみると、なんと藤棚の上からHちゃんの声がしました。なんと、自力で登ることができたようです。

すごい!やったね!と拍手を送ると同時に
あー貴重な瞬間を見逃したー!と残念な気持ちもありました。

苦し紛れに、どうやって登ったのか見せてもらうことに。

鉄パイプだけでなく、その横にそびえる藤の木の幹をうまく使っていました。

一度登れるようになると、子供は早いです。
その後はよほど嬉しかったのか、登ったり降りたりの繰り返し。

その後もHちゃんは毎日私を誘って藤棚に登るようになりました。
みるみる上達していく姿や、友達を誘い登り方を得意げに教える姿を見て、担任も横でニヤニヤとしていました。

せっかくなので、他の子にもHちゃんの頑張りや、藤棚登りの楽しさが広まったらいいなと思い、苦戦していた頃のHちゃんや幹を使って登る姿、他の子が藤棚の鉄パイプの上で嬉しそうに笑うところなどを収めた写真を使って簡単なドキュメンテーションを作りました。

タイトルは『目指せ!木登り名人!』

子供の目に入るところに貼り付けておくだけでも興味を持つ子はいるだろうと思いましたし、写真を掲示してもらえた子供は自信に繋がったりもう一度チャレンジするきっかけになったりすることもあるかな、と考えてのドキュメンテーションでした。


そのドキュメンテーションを貼り付けた、その日の昼前です。
個人的にとてもモヤモヤする出来事が起こりました。

そのドキュメンテーションを見たベテラン保育者から声をかけられたのです。

「ねえねえ知ってる?あれ(藤棚登り)、やっちゃダメってことになってるから」


初めはよく意味がわかりませんでした。
やっちゃダメってことになってる?
どういうこと?
どのあたりでやっちゃダメってことになってるの?
園全体?ならどうして年長児からは、誰もそのことについて話が出なかったの?
そもそもなんでダメなの?

疑問や戸惑いが頭の中をぐるぐるしつつ、心の中では(そのベテラン保育者にそんなつもりはなかったとは思うけど)Hちゃんのここ数日の頑張りをあっさり否定されたような気がして、怒りや悔しさがこみ上げてきました。

当然、理由を聞いてみました。

要約するとこんな感じ。
・昔、藤棚から落ちて骨折した子がいた。
・その子の保護者はすごくお怒りになり、担任が激しく責められる形になってしまった。
・担任や園長が家庭まで謝罪に行く事態に発展。
・それ以降、保育者間で藤棚を登るのはやめようという共通理解になった。


これを聞いても納得のいかない私。

私も子供が怪我をしていいとは全く思っていませんし、保護者への対応を蔑ろにするつもりもありません。

問題はそこではなく、

怪我が起きた→危ないからそこを使うのはやめようという問題解決のプロセスだと感じました。

この問題解決法を突き詰めていくと、極論幼稚園なんかやらない方がいいという結論に達してしまうと思うんです。

ハサミで怪我をした→危ないからハサミは使うのやめよう

園庭で転んだ→外で走るのはやめよう

友達と喧嘩した→友達と関わりを持たないようにしよう

これと全く同じことをしていないでしょうか。

怪我や事故が起きてしまったからその場や道具を使わないようにする

ではなくて

怪我や事故が起きてしまった。ならどうすれば怪我や事故がなく遊べるかという方法を考えるべきです。

今回の場合で言えば
藤棚の下にマットを敷くだとか、登る時は必ず先生と一緒にするだとか、環境の工夫やルール作りでいくらでも対処する方法はあったと私は思います。

そもそもそういう怪我が過去にあったのなら、今年4月から勤務している私の耳に入っていないことも問題です。安全管理における共通理解が図れていないのですから。(と同時に、自分で考えて怪我の対策をすることもできたはずだったと深く反省しております)


話を戻すと、そんなふうに臭いものには蓋をしろ的な考え方で議論がなされたであろう園文化や、全体で決まっているからという理由でろくに考えもせず子供の遊びやそこにある気持ちを押しつぶそうとしたそのベテラン保育者に、無性に腹が立ってしまったのです。

このベテラン保育者とはこの藤棚登りの数日前にも一波乱ありました。

水性ペンを使って自分の爪を塗って遊んでいた私のクラスの子供達。
ネイルみたいだね、と声をかけると好きな色で爪を塗りつぶす遊びが女の子を中心に広がり始めました。

私は、水性ペンだし水で洗えば落ちるからいいかな、と、軽く考えていました。
付け替える楽しさや様々な模様やデザインに興味が出てきたら、ビニールテープを切り貼りして付け爪のようにできる事例を知っていたので、そちらに移行していけば良いかなと。

そこにやってきたベテラン保育者。
第一声は

「これ、子供達爪塗っちゃってるけど、いいの?」

でした。

洗えば落ちるし、いいよって伝えてます、と私。

そこで話が終わるかなと思ったら、案の定

「これ、やっちゃダメってなってるから」

と例のセリフ。

ペンには正しい使い方がある。
爪を塗るものではない。
年中や年少が真似をしたらどうするのか?
年長らしく、正しい使い方を教えてほしい。

とのこと。
ペンには正しい使い方がある、という考え方には一理あると思いました。
が、しかし、それだけでは子供達の遊びを止める理由にはならないんじゃないかな、とも思いました。

ペンを剣がわりにして、戦いごっこをしていたら私も止めると思います。
ペンを投げて遊んでいたら、止めると思います。

でも、ペンは書く(描く)ものだとしたら、爪を塗ることはギリギリその範疇なのでは?と屁理屈をこねたくなります。


この時は仕方なく子供達に辞めるよう伝えて、意図していた形とは違いますが、ビニールテープ付け爪に移行しました。

子供達は柔軟なので、今はそのビニテ付け爪を楽しんでいます。



藤棚の時も、ネイルの時も、

それ、やっちゃダメってことになってるから

という言葉で子供の遊びが途切れたり、方向が変わったり、なくなったりしていきました。

前任園の園長がよく口にしていた言葉で

「保育から出来るだけ"ねばならぬ"や"べき"をなくしたい」
というものがあります。

この事例もまさにこれのことだと思っていて、

危ないから辞めるべき
ペンは紙に書かねばならぬ

と決めつけた瞬間から子供の世界は広がることを辞めてしまいます。
そこには、面白味も学びも成長もない、無味無臭なつまらない生活が続いているだけになってしまう。

別に、何をしてもいいよと子供に伝えるわけではありません。
幼稚園は集団生活の場でもあるし、社会生活の場でもあるので、ルールや規律を伝えていく場面はあっていいと思っています。

ただ、よく考えもせずに
こうあるべき!決まりだからダメ!危ないからやめろ!

と大人の決めつけたルールや常識を子供に押し付ける保育者にはなりたくないです。

頭も心も柔らかく、硬いのは一番芯の部分、大事にしたい保育に対する想いの部分だけでいいと思います。


ベテラン保育者を非難したいわけではなく、あくまでも自分がこうありたいという思いから書かせていただきました。

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