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鍵かけ忘れてないか心配になる問題

会社の従業員の方に心配性の方がいる。
「鍵かけてきたかしら」「相手に嫌な奴と思われてないかしら」としょっちゅう色んなことに心配している。

超わかる。僕も根っからの心配性だ。「娘がいじめられたらどうしよう」「交通事故にあってないかな」「会社潰れたらどうしよう」心配しだしたら枚挙にいとまがない。

さらに、会社を経営していると、問題だらけだ。もう問題が次から次へと湧いてくる。なんなら経営とは問題を捌き続ける職業のことを言うのかもしれない。

そこで、ずっと考えたり、悩んだりしているのがしんどいため、悩むと考えるを切り分けて悩む方を切り捨てる方式を編み出した。

悩むと考えるを切り分けるとは、僕が6年間、問題を捌き続けた結果、問題に優先度をつけるテクニックとして醸成した考え方だ。考えることを優先し、悩むことを非優先にする。なんなら、やらない。

考えると悩むの違いは何か。色々言いたいことはあるかとは思うが、ここでは「インプットがあるかどうか」と定義する。

インプットがあれば、「考える」になって、インプットがなければ「悩む」とする。

「考える」というのは何が目的かというと、何かしらのアウトプットを出すのが目的だ。インプットがあって、それを解析したり分析したりしてアウトプットに変換する作業のことを「考える」と言いそうだ。

ここでインプットがない場合、どうあがいてもアウトプットは出ない。インプットなしでアウトプットがでてきた場合、それは「勘」とか「賭け」とかの類であまり価値を持たないアウトプットだ。こういうインプットが無い状態で考える事を「悩む」と言おう。

新しい発見とか発明はどうなんだと言われそうだが、それもインプットが無いわけではない。ChatGPTも論文から着想を得てるし、論文には引用がある。

インプットをアウトプットに変換するチェーンがあって、変化量の多い変換が発明にあたる感じがする。

例えば「売上が低い」という問題は考えるインプットがあるか。売上台帳がとりあえずインプットとしてある。これは考える対象にする。では、「お客さんと馬が合わない」はどうか。考えるためのインプットがなさそうだ。これは「悩む」とする。そしてなんにもしない。

「何にもしない」と一口に言っても、心配なもんは心配だ。ただし、「インプットがない場合考えても答えが出ない」という、考えない理由が明確に与えられると安らぎもする。あとは訓練だ。「インプットがないものを考えたらアウト」ゲームを日頃から行っていこう。

さて、こんな感じで色々考えることを減らしていこう。

「鍵かけてきたかしら」
 →観測できないためインプットがない。
  →考えない

「相手に嫌な奴と思われてないかしら」
 →相手の気持は観測不能のためインプットがない。
  →考えない

「あいつムカつくけどなんでだろう」
 →自分の気持なので観測可能。自分の気持がインプット
  →考える

「娘がいじめられたらどうしよう」
 →未来のことなので観測不能。インプットなし
  →考えない

「交通事故にあってないかな」
 →観測できないためインプットがない。
  →考えない

「会社潰れたらどうしよう」
 →つぶれたときのナレッジ本がインプットになる
  →本があったら考える

今日まであったあなたの眉間のしわが、
明日からなくなっていればいいな。



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