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言葉の政治学 恩師との出会いは偶然

「言葉の政治学」という概念は、たまたま選んだゼミの教授である恩師が大学一年生向けに講義(対話形式が多い)する時の題材でした。

現在、たまたま大学職員として勤務できているのは、たまたま1年生の時に選んだゼミの恩師の影響です。

転職できたら儲けものくらいの姿勢で面接に臨んだこともあり、恩師由来のパッションと、どうとでもなれという精神状況で、今思うと危ういやつだったのですが、運よく拾っていただきました。

18歳の時の私はどう考えても不真面目で、不貞腐れている大学生でした。なんとなく同郷である新潟出身であるという理由だけで先生を選んだものの、こんなに人生に影響するとは思ってもみなかったことでした。

ある時に、劇的にどうというわけではなく今も不真面目なのですが、それまでは全く読書しなかったのに(初めて自分で買った本は生協の白石さんというレベル。世代が分かりますね…)、取り憑かれたかのように読書するようになる時期がありました。今もたまにあります。

言葉にできない悔しさ、知識への憧れ・焦り、様々な感情が芽生えていった時期に、本を読むということが一応の解決になったのだと理解しています。

サークル活動、バイト、他多くの可能性があったのだと思いますが、自分にとっては本、学問なんだったと思います。(やっと本題に行けた!)言葉の政治学とは何か?

言葉の政治学その1、「高校生までは生徒、大学生は学生 従って生きるのはやめて、学んで生きろ。」字面からしてそうだけど、あえて言う必要はあるのだろうか?という感じを受ける。生徒と先生は上下関係があるが、学生と教授は上下関係ではなく、学徒として対等とのこと。どういうこと?となる。

言葉の政治学その2、「勉強は強制の意、学問は自主性の意」勉強は楽しいものではなく、答えがある。学問は楽しいもので、答えがない。受験終わったら正解がないことをやるのか、ここで戸惑う。学んで問う、問うて学ぶの無限ループ。学生も教授も学問の裾野を広げる、真理を探究する研究者として対等であるべきなのだそうだ。

言葉の政治学その3、「こなすと言う言葉は使うものではない」ものごとをこなすスタンスは最悪。ナンセンス(口癖)。打ち込むことが大切。神は細部に宿る。

もっとあったはずだけど、思い出せない自分に気がつく。ゼミ仲間に今度聴いてみよう。

……一つ思い出した。「先生ではなく教授」でも、教えを授けるなんておこがましいから、自分のことはさん付けで呼んで、というのは先生の人柄で、本音だったのかもしれない。でも、私は尊敬の意を込めて先生と呼んでいました。

政治っていう言葉は多義的(議会制民主主義とか、分配とか経済システムのことを連想する人もいる)ですが、先生曰く、「人に影響を与えること」がその本質なんだそうです。権力・権威に関する研究ともいえそうです。

言葉の政治学。

日々使う言葉に、知らず知らずのうちに影響されてしまうからこそ、「生徒ではなく学生」「勉強ではなく学生」「こなすはナンセンス」ということを事あるごとに教えてくれていたという事です。このことに気がついたのは最近のことのように思えます。

以上、学問への愛を語ろうっていテーマに沿えているかは疑問な内容ですが、恩師なくして学問に敬意を持つことなく、同志に出会えることもなく、惰性と無力感で日々を過ごす(こなす‥!)ことなく生きていられるのは幸せなことです。

#学問への愛を語ろう

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