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ケアマネージャーを卒業する前に

2020年11月、祖父の死去からちょうど一年たった今
そして2021年春に10年以上続けてきた介護職を辞めるにあたってnoteを書こうと思いました。

「なぜ介護の仕事をするに至ったか」はこちらに書いてます↓

ケアマネージャーについて

現在、僕の職業はケアマネージャー(6年目)
正式名称は「介護支援専門員」と言います。
厳密には国家資格ではないですが、全国全自治体の共通の公的資格になります。
資格取得には、介護福祉士や看護師などの国家資格を持った上で現場での介護や看護などの実務経験5年以上で試験を受けることができます。
(僕が試験を受けたのは6年前で合格率は10%強)

介護や福祉の職業には介護士、介護福祉士、看護師、理学療法士など様々な資格を持ったスペシャリストがいますが、ケアマネージャーの仕事を簡単に説明すると(僕は在宅専門のケアマネなので施設ケアマネについては割愛)

自宅で暮らす高齢者(要介護者)を30〜40名ほど担当
自宅を定期的に訪問し、生活状況、家族状況、思考や人生観、病気、経済状況など高齢者の生活や人生に深く関わる様々なことを把握します。
そして、その人それぞれの望む暮らしや望む介護、望む最期を実現できるように介護保険などの公的サービス、地域や一般のサービスなどを問わず提案調整しながら支援していく仕事です。

一度担当したからには、本当に自宅で暮らす最後の最後まで本人家族とともに伴走します。
簡単に聞こえるかもしれませんが本当に責任ある仕事で、ケアマネが家族に「施設へ入れたほうが良いですよ」といえばそのようになる場合が多く、「まだ自宅で頑張りましょう」と言えば頑張る家族もいます。

僕は今まで何人にも「自宅で頑張りましょう、必ずどんなになっても最期まで私がついてます!」と言って自分にプレッシャーをかけ本気で高齢者の人生に向き合ってきました。
結果、一人暮らしの人が自宅で急死して警察沙汰になり家族も死に目に会えず「あの時、僕が施設を勧めていればこの人はもっと長生きできた…」と毎日毎日、忘れられない夜を過ごしたこともありました。

犬の散歩

祖父の話をします

「長崎県で1番のケアマネージャーになる」と必死で走っていた僕がケアマネ5年目、30歳になる前の正月明けに近所に住んでいた祖父が急性腸閉塞(イレウス)で入院しました。
祖父とは幼少期同居していて、別居してからもずっと近所に住んでいたので本当に可愛がってもらっていました。
ちなみに今の僕の顔は祖父の若い頃にそっくりだそうです。
「お前はわしの若い頃に似て、いい男だなぁ」と言われていました。

祖父は心臓や胃がもともと弱く、いろんな病気をしてやせ細っており職業柄
「次、なにか大きな病気をしたら危ないな…」という予感はありました。
そんな中での入院。
退院の目処は立たず、今の病院では治療できないと連絡があり転院、転院先の医師からは「腸の手術をしないと危ない、ただ心臓が弱いから手術中に亡くなるリスクも高い」とのことでした。

その当時、僕の息子(祖父からしたらひ孫)は2歳だったのですが、「じいちゃん、今死んだらひ孫の記憶にはじいちゃんのこと残らないよ。頑張らないと!」と声をかけていました。
その甲斐あったのか、無事手術は成功し一命はとりとめました。しかし祖父は鼻から管を胃まで通し、栄養を取らなければいけない状態。
でも「家に帰りたい家に帰りたい」とよく言っていました。

完全に寝たきりの老人で、栄養も鼻から入れないといけない。そんな家族がいたら皆さんはどうするでしょう?
ほとんどの人は「病院か、介護施設へお願いしないと…」と思うでしょう。
そしてそれは決して悪いことでもなんでもなく普通の感覚です。
例に違わず祖父の家族(僕の祖母や母)もそう思ったようでした。

ですが、ここで一般家庭と違ったのは孫が在宅のケアマネージャー。
しかも自称ですが、市内屈指のケアマネです笑

「無理かもしれないけど、じいちゃんは家に帰りたがってる。帰す選択肢を考えるからちょっと待って」と僕は言いました。

まずは要介護認定の取得と入院先のメディカルソーシャルワーカーへ連絡し、僕がケアマネとして動くことを伝えました。
降りた認定は「要介護5」、これはもっとも重度な認定でありこの認定で自宅で生活している人はかなり稀です。

ただ、ここで1つだけ引っかかりました。
「身内を僕が担当しても良いものだろうか?公私混同になって判断に迷わないだろうか?」
それを直属の上司(主任ケアマネージャー)へ相談しました。

すると
「あなたが責任を持って担当しなさい。自分の祖父母を大切にできない人は他の高齢者も大切にできない。公私混同?関係ない。後悔ないように思いっきりやりなさい。」と背中を押してもらいました。

介助

そこから祖父の正式な担当ケアマネとしての業務が始まりました。

祖父も祖母や母も「たいきが担当してくれるのなら安心」と喜んでくれました。
そして入院先の看護師や主治医、ソーシャルワーカーとのやり取りが始まりましたが、皆そろえて口に出すことは
「いやいや、こんな状態の人を自宅に帰すなんて無理でしょう!施設を探してください」こう言われました。

予想はしていましたが、これはよくあることで介護や医療の経験が長いほどリスクを重視する人が多いように思います。
もちろん僕もプロとしてリスクを軽視しているわけではありません。
ただ、大切なのは「考えられる限りのリスクを本人や家族へ提示した上で選択をさせること」だと思っていて、リスクを知った上で本人の本当の望みやできるだけ後悔しない行動を選ぶことが重要だと今でも思っています。

結果、祖父の家族は少しでも家へ連れて帰ることを選びました。

僕が提案したプランは
自宅に介護用ベッド(3モーターでベッドごと傾き座位がとりやすいもの)
車椅子、ポータブルトイレを搬入
褥瘡(床ずれ)防止の為、最新の自動体位変換、体圧分散マットレス使用
365日24時間対応可能な定期巡回随時対応型訪問介護看護の利用と
医師による訪問診療、薬剤師による居宅療養管理指導
介護負担軽減のためのショートステイ
他にも食事形態のことや排泄のこと緊急時の対応など検討しておくべきことや山のようにありましたが自慢ではなく、5年間誰よりも努力して勉強してきた自分にはごく普通の業務でした。

そして依頼した各サービス事業所も「○○さんのためならば」と無理をしてでも協力を申し出てくれて在宅でのベストなチームを作ることができました。
そしていよいよ退院間近…

退院日まで主治医からは「本当に危険な状態。今日いますぐにでも急変して亡くなるかもしれません、こんな人を家に帰すなんて初めてです」と言われました。

退院当日、半年ぶりに自宅へ帰ってきた祖父の嬉しそうな顔は今でも忘れられません。
それから祖父は「2週間もてばいい」と言われたり病院でもミキサー食を少し食べられるくらいだったのに、家に帰ってからは大好きな魚の刺身を毎日食べて、みるみる元気になりました。

夕日

退院して2ヶ月たった祖父の誕生日は、ベッド上で食事することしかできなかった祖父が車椅子で皆と同じ食卓を囲み、ケーキを食べ家族皆と笑顔の写真も撮れました。本当に幸せそうな顔でした。
その日は家族だけで過ごそうと、ヘルパーの訪問をキャンセルし僕が祖父のおむつを交換しました。

自宅で介護をしていた祖母は大変だったと思いますが、日に3〜4回ヘルパーが来てくれたり、看護師が緊急時用に待機していたりあまり心配はなく介護ができたようでした。
僕の妻は介護福祉士の資格を持っているのですが、よく訪問して祖父の髭をそったり爪を切ったりしてくれていました(本当に感謝しています)

祖父が退院して4ヶ月たったころの11月、「本当に元気になってきたね、次はお正月にごちそうみんなで食べようね」と話していましたが
急に体調が悪くなり救急搬送、診断は敗血症でした。
そして僕は仕事として病院へ面会に行ったのですが、そこには母が見舞いに来ていて「話もできるし今のところ大丈夫そう」と言っていました。

しかしその数分後看護師さんが飛んできて「もう危ないかもしれません!」と、慌てて病室へ入りました。すると祖父はもう目はうつろで声をかけても反応がありません…
しかし人は亡くなる直前、反応がなくなっても耳だけはぎりぎりまで聞こえているといいます。
僕はたまたまそこに立ち会えたので「じいちゃん、今までありがとう!」と最期まで声をかけ続けました。

そして苦しむ様子もなく息を引き取りました…

仏壇

あれからちょうど一年...

来年の春、僕は介護職を辞めることになりますが、最愛の祖父を自分で担当し望む最期を迎えさせることができて、努力が少し報われた気がしました。
介護職をやめても知識や考え方は残り、今後も身内や近隣の方の相談には助言できると思います。

祖母や母からは今でも「たいきが担当してくれたから、じいちゃんを家で介護することができた。後悔がないわけじゃないけど、亡くなる直前まで家で生活できたことだけは本当に良かったと思ってる。ありがとう。」と言われます。
必死で考えて諦めず「最期までその人や家族の望みに全力で向き合う」
やってきたことは間違いじゃなかった…そう思えました。

人の最期に正解不正解はなく、今回もたまたまいろんな条件が重なってこういう結果になりましたが、本当に過酷な運命と戦っている人が地域にはたくさんいます。
ケアマネだけが頑張っても何も変わらないかもしれませんが、でも最初に諦めるべきではない。そう思って全力で走ってきた6年間でした。

だからそれに共感してくれたヘルパー、看護師、福祉用具相談員、ショートステイスタッフなどが集まってくれたんだと思います。
家族の状況によってもとても自宅で介護するのは大変ですし、離島などサービスが少ない地域もあります。

望みを叶えられる可能性が少しでもあるのなら僕は叶えてあげたいとやってきましたが、
ただ、ちょっと疲れました…

祖父は別ですが、毎回他人にここまで入れ込んで時間を使い、精神を消耗し、家族との時間を減らし続ける人生はここまでにしたいと思います。

今まで数え切れない人々の人生の終わりに携わってきて、多くのことを学び僕自信の人生観にも大きな影響を与えていただきました。
人の人生の葛藤や死というものは、多くのことを考えるきっかけをくれます。

そういう意味ではこんなにひとりひとりの人生に向き合うことができる職業はないと思います。
僕はもうすぐケアマネージャーを卒業しますが、この経験は必ず今後の人生の糧になると信じてまた別の業種でも走ってみたいと思います。

だらだらと想いを書きましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

手


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