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人生の分岐点

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誰しもいろんな人生を歩んでいる。なんとなく今の自分をみつめるために過去の自分を振り返りたくなった。
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人生の分岐点(1)

人生の分岐点(1)

現在31歳、3歳の子を持つ父親で長崎県の田舎生まれ田舎育ち。職業はケアマネージャー(介護支援専門員)

僕は2人兄弟の長男として育った。
両親に「弟が欲しい!弟が欲しい!」とねだり続けてついにできた待望の弟。だから年は7つ下。

今息子を何よりも大切に思っているように、ずっと弟が一番大切だった。毎日早く帰って弟とゲームをしたり、大人になるまで一緒にお風呂に入って少年ジャンプの感想を言い合ったり。

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人生の分岐点(2)

人生の分岐点(2)

18歳で海上自衛官になった僕は、帰宅部で運動音痴、体力もない状態で超体育会系の海上自衛隊の教育隊へ入隊した。

半年間の教育隊生活は、悪く言えば刑務所に近い生活かもしれない。

毎日ラッパで飛び起き、極寒の中もシャツ一枚で外で腕立て伏せ。
制服のアイロン、靴磨き、髭などの身だしなみ。ベッドメイク、3歩以上はダッシュ、毎日夕方は吐くほど走らされる。

外への外出が許されるのは週に1回週末だけ。
僕は

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人生の分岐点(3)

人生の分岐点(3)

20歳の夏、自衛隊を辞めて佐世保へ帰ってきた。

舞鶴から佐世保までは確か、新幹線と電車を乗り継いて8時間ほどかかったと思う。
連休の時にも佐世保と舞鶴を往復したことは何度かあった。
今回決定的に違ったことは、もう佐世保を出る電車に乗らなくていい。近所の駅で家族と別れなくていい。なんだかほっとしたのを覚えている。

無職で収入もなく実家暮らしとなったわけだが、自衛隊を辞めるときに父から「収入がなく

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人生の分岐点(4)

人生の分岐点(4)

ケアマネージャーになってからは壮絶な日々だった。

資格取得に最低5年かかる以上、基本ケアマネは40代以上の福祉職歴10年以上の人が多い。
その中でも僕が所属した事業所はケアマネ資格誕生以来、長崎県でケアマネの講師をしている管理者率いる優秀な居宅介護支援事業所だった。

市内や市外で他事業所のケアマネと会っても、「あの〇〇事業所の?」と言われる日々だった。

僕は福祉業界で出世して家族を養っていく

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