たいき

33歳。2児の父。エンジニア。 このnoteは完全に自己満足の自分語りです。共感してく…

たいき

33歳。2児の父。エンジニア。 このnoteは完全に自己満足の自分語りです。共感してくれた人はいいねしてくれると嬉しいです! 西野亮廣エンタメ研究所メンバー

マガジン

  • 人生の分岐点

    誰しもいろんな人生を歩んでいる。なんとなく今の自分をみつめるために過去の自分を振り返りたくなった。

最近の記事

エンジニアになって1年半をふりかえる。

この記事を書こうかなと思ったきっかけ特に大した意味はないのですが、最近SNSで歴が同じくらいの駆け出しエンジニアの方々が振り返りをされてるのを目にして気軽な気持ちで書いてみようとなりました。 今書いてるこのときも、休日にコードを書いててエラーに捕まったので気分転換に書いてますw ↓これはフォローしてるまさきちさんが書かれてた記事(1年ですごい) そもそもエンジニアになった経緯僕がエンジニアになろうと思った理由とかなるまでに頑張ったこととかのいろいろは以前他の記事に書きま

    • いつか息子に話したい「目指せエンジニア奮闘記」

      このnoteは30代、家庭持ち、地方の介護職である僕が、どうしても入りたかった企業にエンジニア職として内定を勝ち取るまでの話を、ありのままダラダラと書き綴ったものです。 よくある「〇ヶ月で案件獲得!」「未経験から〇ヶ月で転職成功」「パソコン一台で稼げる」みたいなスマートな人の戦略的ノウハウではなく、悩んで悩んで何度も泣きそうになったり諦めそうになりながらも、それでも泥臭く地道な努力を続けた課程を書こうと思います。 誰の参考にもならない「もっと要領よくやれよ」って言われてしまい

      • 映画 えんとつ町のプペル公開前に想う…

        僕のことを知っている人や、Twitterでのフォロワーさんや仲良くしてくださっている人はご存知だと思いますが、僕はオンライサロン「西野亮廣エンタメ研究所」のメンバーです。 この記事を書いている今日…12月21日。 映画 えんとつ町のプペル公開まで目前となった今、唐突にnoteを書きたくなりました。 僕は以前別の記事でも少し触れましたが、キングコング西野亮廣さんの影響を受けオンラインサロンにも入ったことで人生に対する価値観が変わりこの約1年半を毎日努力することができています

        • 人はかんたんに死ぬよ?(車の運転について)

          ちょっと怖いタイトルでドキッとした方、すみません…。 いつもnoteを書くときは「誰かの役に立つ記事」などではなくて、自分の感情整理のために急に書きたくなったものを走り書きのように書いてます。 この記事もご多分に漏れずそんな記事です笑 僕は今の職業柄(ケアマネージャー)、もしかしたら一般の方と「死」にたいする感覚が少し違うのかもしれません… ケアマネージャーとしてどんな仕事をしてるかはこちらの記事↓ いきなりですが、僕は車の運転は上手な方だと思います。 「得意」ではなく

        エンジニアになって1年半をふりかえる。

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        • 人生の分岐点
          4本

        記事

          ケアマネージャーを卒業する前に

          2020年11月、祖父の死去からちょうど一年たった今 そして2021年春に10年以上続けてきた介護職を辞めるにあたってnoteを書こうと思いました。 「なぜ介護の仕事をするに至ったか」はこちらに書いてます↓ ケアマネージャーについて現在、僕の職業はケアマネージャー(6年目) 正式名称は「介護支援専門員」と言います。 厳密には国家資格ではないですが、全国全自治体の共通の公的資格になります。 資格取得には、介護福祉士や看護師などの国家資格を持った上で現場での介護や看護などの実

          ケアマネージャーを卒業する前に

          人生の分岐点(4)

          ケアマネージャーになってからは壮絶な日々だった。 資格取得に最低5年かかる以上、基本ケアマネは40代以上の福祉職歴10年以上の人が多い。 その中でも僕が所属した事業所はケアマネ資格誕生以来、長崎県でケアマネの講師をしている管理者率いる優秀な居宅介護支援事業所だった。 市内や市外で他事業所のケアマネと会っても、「あの〇〇事業所の?」と言われる日々だった。 僕は福祉業界で出世して家族を養っていくためにケアマネになった。 一番上は施設長なわけだが、ケアマネとして働き始めた途端

          人生の分岐点(4)

          人生の分岐点(3)

          20歳の夏、自衛隊を辞めて佐世保へ帰ってきた。 舞鶴から佐世保までは確か、新幹線と電車を乗り継いて8時間ほどかかったと思う。 連休の時にも佐世保と舞鶴を往復したことは何度かあった。 今回決定的に違ったことは、もう佐世保を出る電車に乗らなくていい。近所の駅で家族と別れなくていい。なんだかほっとしたのを覚えている。 無職で収入もなく実家暮らしとなったわけだが、自衛隊を辞めるときに父から「収入がなくても家に食費を入れないと家には住ませない」と言われていた。 自衛隊の時に少しは

          人生の分岐点(3)

          人生の分岐点(2)

          18歳で海上自衛官になった僕は、帰宅部で運動音痴、体力もない状態で超体育会系の海上自衛隊の教育隊へ入隊した。 半年間の教育隊生活は、悪く言えば刑務所に近い生活かもしれない。 毎日ラッパで飛び起き、極寒の中もシャツ一枚で外で腕立て伏せ。 制服のアイロン、靴磨き、髭などの身だしなみ。ベッドメイク、3歩以上はダッシュ、毎日夕方は吐くほど走らされる。 外への外出が許されるのは週に1回週末だけ。 僕は走るのも遅かったし、懸垂ができなかったし、泳ぐのも遅かったし休日も居残り練習をし

          人生の分岐点(2)

          人生の分岐点(1)

          現在31歳、3歳の子を持つ父親で長崎県の田舎生まれ田舎育ち。職業はケアマネージャー(介護支援専門員) 僕は2人兄弟の長男として育った。 両親に「弟が欲しい!弟が欲しい!」とねだり続けてついにできた待望の弟。だから年は7つ下。 今息子を何よりも大切に思っているように、ずっと弟が一番大切だった。毎日早く帰って弟とゲームをしたり、大人になるまで一緒にお風呂に入って少年ジャンプの感想を言い合ったり。 友人を家に呼ぶことも多かったが、弟への言動が嫌だった友人とは関係をすぐに切ったこ

          人生の分岐点(1)

          父親になって3年...

          息子が3歳になった。 妻からは「パパもお父さん3歳だね」と言われて、父親としての自分を振り返るとともに僕の父についても思い出していた。 両親は僕が3歳のときに離婚しており、今の父は4歳のときに母が再婚してからの父だ。 今回こういう書き方をしているけど、「血がつながってない」とか意識したことはない。 理由は簡単で、すごくたくさんの愛情を注いでもらって、血がどうとか気になる余地はなかったからだ。 父は典型的な九州男児で亭主関白、一言で言えば厳しかった。 小さい頃は良かったけ

          父親になって3年...

          鯉のぼりを出しながら…

          5月生まれの息子、もうすぐ3歳になる。 『あれから3年か…』とありきたりなことを考えています。 親は皆そうだと思うけど、僕も例に違わず息子が何よりも大切。 3年前に生まれてきてくれたこと、そして産んでくれた妻には感謝しかない。 僕にできることは何か? 今のままの自分でこの宝を守っていけるのか? 昨年はずっとそう考えていた… 僕が出した答えは『日本が変わっても、世界が変わっても、時代が変わっても適応できる努力を死ぬまで続けること』 そう思い始

          鯉のぼりを出しながら…