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向学心の掛け算、支援者の無力 ー春を目指した冬のマラソン

 想像に難くないだろうが、新年が明けてから桜前線が北上し始める頃までの期間は、塾業界にとって最多忙のハイシーズンである。「師走」が終わっても、こちらの「師」は3月まで走りっぱなしだ。もちろん独りではない。生徒(や保護者)と共に、春を目指して持久走を走り続ける。
 今回は、前回の記事では概念の紹介にとどめた「ゆらぎ」に焦点を当てるため、駆け出しの講師が初めて受験生を送り出した話を綴りたい。

1.直前期という祝祭

 弊社には年に1度、スタッフも生徒もフォーマルな服装で臨む特別な日がある。1月の上旬に行う「面接練習会」である。面接官は外部講師に委託。学校の制服で登校、待機時間は自習、講師への質問・相談以外は私語禁止。いつもはワイガヤな空間に、適度な緊張感が走る。
 「進学後はどんなことに取り組みたいですか?」「将来なりたい職業はありますか?」「印象に残っている本は?」「よく見るテレビ番組はありますか?」
 過去問の採点をしつつ、一人ひとりの回答に聴き入る。普段はインスタとバラエティ番組のことしか話題にしない生徒が、真剣に問いに答えた。

 「最近関心をもったニュースは何ですか?」
 「イランとアメリカの対立です」
 「重要な外交問題ですね。このニュースについて、あなたはどんなことを考えましたか?」
 「はい…平和が大切だな、と思いました。」

塙「『北の国から』といえばね、テーマ曲が有名です」
土屋「さだまさしさんのね。名曲ですよ」
塙「ア〜ア〜ア〜」(歌まね)
土屋「北海道のね、雄大な自然が目に浮かびます」
塙「ア…ア…」(声が詰まり気味になる)
土屋「本当にもうね、富良野の情景が」
塙「……平和がぁ〜」
土屋「いや、歌詞ねーだろ!!」

 ドラマ『北の国から』のテーマ曲(さだまさし「北の国から」。ハミングのみの歌)に無理やり歌詞をつけた、ナイツの漫才を思い出した。

 「面接練習会が終わると、みんな受験生の眼になっていくんですよ」
 塾長の「予言」は本当だった。授業時の集中力。過去問に取り組むスピード。答案の質。伝えたことの理解速度。何もかもが、それまでとは明らかに違う。学校が終わったら(一旦帰宅し、私服に着替えて)すぐ塾に来て、授業前も寸暇を惜しんで自習に励む。私も、授業がない日も出勤し、過去問の採点と個々へのフィードバックをする。「カラオケ行きたい…」「ゲームしてぇー」という本音は時々聞こえつつも(※1)、お互いの熱量が最高潮に達する、忙しくも楽しい期間である。

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これだって「ゲーム」だよ。

 しかし、祝祭はやがて終わりを告げる。
 「あと2週間!? マジヤバくない?」「ヤバいヤバい」
 こっちだってヤバい。残り時間を最大限効率的に使って、クラス授業で、個別対応の時間で、何を伝えようか、どんなことに取り組んでもらおうか。できないことよりもできることを数える。お互いに頭をフル回転させる、怒涛の日々が続く。

2.本番の熱狂、無力の現実

 そしてとうとう、公立高入試前日、激励会の日を迎えた。
 当日に向けた注意事項(「カツ」を食べ過ぎて腹を下さないように、とか)と講師陣からの簡潔なメッセージが書かれたプリントを配る。全体への話、一人ひとりへの声かけ。早寝早起きを促すため、夕方早めの時間に生徒を帰宅させる。
 副塾長が一人ひとりに最後のエールを届け、ガラス戸の向こうへ受験生たちを送り出す。一歩外へ出れば、あとはそれぞれが歩んでいく道。我々スタッフは、いつもの教室で、桜の開花を祈ることしかできない。お疲れ様でした、と講師陣も散り散りに帰宅する。
 
 就寝準備をし、ふう、と一息ついた。それがいけなかった。

 この受験が終わったら、受験生たちは「卒業生」になる。これまで毎週繰り返されてきた光景が目の前に現れることは、もう二度とない。直前期を生徒とともに夢中で駆け抜けるうちに、当たり前のことを今の今まで忘れていた。そして、様々なことがこみ上げてきた。
 初期のぎこちない会話。流し目に準備した箇所を鋭く突く質問。しょうもない雑談にこぼれる笑顔。難しすぎる問題を与えてしまった時の、死んだ魚のような眼。自由英作文の答案内容をめぐる学術的な議論。大晦日のお絵かき(※2)。長い不調を克服した時の嬉しそうな表情…。
 学習支援者、もとい塾講師として、出来うる限りのことはしてきた。しかし、本当にベストを尽くしたのだろうか。クラス授業で、もっとこういう演習をするべきだったのではないか。個別の声かけで、もっとこんなことを伝えておけば良かったのではないか。ともあれ、本番で答案を書くのは受験生たち自身。実力を発揮してくれることを、ただただ祈るしかない。
 15分、30分。どのくらいの時間が経ったのだろう。枕を派手に濡らした、久々の夜だった。

 翌日、午後5時頃。本番を終えた生徒たちが、「答案再現」を始めた。「理科マジむずくなかった?」「英語意味不明。。。」「作文何書いたー?」と、いつもに増してハイテンションで騒ぐ生徒たち。「他の学年授業やってるんだから、静かにしろー!」と言いながら、いつもより数段口調が優しい「鬼の副長」(※3)。問題のコピーをとろうと、私も生徒に話しかける。
 「もーなんか、全然ダメでした。」ハハハ、と乾いた笑いが聞こえる。その目はうつろだった。マイペースで、過去問演習では問題量の多さに人一倍苦労してきた生徒だった。口数は少なめだが、何気ない一言で周りを楽しませてくれる人だ。
 当然、筆記問題の答案に「ユーモア」は滅多に求められない。「今までの人生で一番の思い出は?」のような「エモい」作文問題が出たとしても、瞬時に内容と構成を決め、素早くミスなく書くことが求められる。客観記述の筆記試験だけを行うことが、少なくとも形式上は最も「平等」な選抜方法である(※4)。それは百も承知だ。しかし、この人の頑張りは、たった一枚の紙切れでもって査定されるのか。これが入試というものか。
 午後7時過ぎ、全員分の答案を採点し終えた。講師室の小窓から見える空はもう暗い。報告用の得点表を前に、私は途方に暮れていた。本番の舞台には魔物が棲む、という話は、甲子園でも入試会場でも同じだった。克服したはずの病を再発させてしまった答案の、なんと多いことか。
 教育者は無力である。〈支援〉であれ〈指導〉であれ、その「成果」は結局のところ、学習者自身の行動が決める。教育は「プログラミング」ではない。いかに強圧的な〈指導〉を行おうとも、教育者と学習者が別個の人間である限り、接する相手が完全に自分の思い通りになることなどあり得ない(※5)。学校や塾でいかに手厚い「対策」を受けようと、独学で励んでいようと、本番で答案に筆を走らせるのは一人ひとりの受験生自身である。
 帰宅途中から頭痛がし始めた。夕食や入浴など、最低限のことを雑に済ませ、ボロ雑巾のように布団に倒れ込んだ。感極まる気力もなく、気づいたら意識が遠のいていた。

3.過去の省察、未来への実践

 約10日後、他の中3担当講師陣とともに、新年度授業の打ち合わせに臨んだ。私以外は壮年のベテラン講師。駆け出しの私に多くの裁量を与えてくださり、かつ雑談にも相談にも応じてくださる方々である。A4用紙にまとめた素案を基に、採用項目と改善点をフィードバックしていただく。
 「小陳先生が変に落ち込んでいないか、心配だったんですよ」
 あの日、講師室で抜け殻のようになっていたのを垣間見られてしまったのだろう。
 無名の若手だろうと、息を吐くように著作を出すカリスマだろうと、生徒(や保護者)にとっては同じ「先生」である。「省察的実践者」としての専門職像は、パフォーマンスを向上させ続ける(正の側面)一方、未完成のものを相手に提供し続けている(負の側面)という、自己矛盾をはらんだ存在である。だからこそ、プロフェッショナルの名に値するよう、その時にできうる最善の実践を届けるしかない。私は応える。
 「前年度の反省は、今年度に活かすしかないと思っています」
 雲の上に行ける人は限られているのかもしれない。しかし、失われた過去ばかりを語り、自己嫌悪を深めても仕方がない。太陽が見上げる人を選ぶことはないのだから。


(※1)入試を例年通り行えただけまだ良かったが、受験から解放されたのも束の間「おうち時間」への移行を強いられた新入生の心情はいかばかりであろうか。罵詈雑言こそ発さないものの、3月に校舎へ訪れた時の様子が「教育の主役」の本音を雄弁に物語っている。
(※2)「筆記」試験のはずなのだが、本文の内容を基に絵を描かせる入試問題がある。なお、解答の該当箇所には「解答例省略」とのみ記されていた。
(※3)幕末に京都の警備などを担った「新撰組」の副長、土方歳三のあだ名。新撰組は特例で帯刀を許された農民出身者が隊員の多くを占めた。「成り上がり」との陰口を払拭するため、土方は隊員に武士以上に武士らしく振る舞うことを求め、規律違反者を厳罰に処したことからこう称された。現代においても、ユルめの「長」と厳格な「副」の組み合わせを採用する組織もある。
(※4)近年、「入試」に限らずあらゆる「選抜」において、選抜基準が(筆記試験だけでなく、面接や自己PRシートなど)多様化する傾向にある。本田由紀はこの変容を「ハイパー・メリトクラシー化」と呼び、批判的に論じている(本田由紀『多元化する「能力」と日本社会 ーハイパー・メリトクラシー化のなかで』日本の〈現代〉13、NTT出版、2005年)。
(※5)とはいえ、数多の論考で指摘されているように、教育は時に「洗脳」にもなりうる。教育の「洗脳」作用を端的に伝える物語として、ジェームス・クラベル(青島幸男訳)『23分間の奇跡』(集英社文庫、1988年)がある。

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