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教育・子ども観の「コペルニクス的転回」 ー〈子ども支援学〉との出会い

 「大人スタッフの皆さんにお願いがあります。ケガをするかもしれない、などの重大な危険がない限り、子どもたちには一切の指示や命令をしないでください。」
 私は一瞬耳を疑った。そんなこと、できるはずがない。子どもは田んぼの脇に生えている花や草の名前を知らないだろうし、アスレチックに設置されている遊具の使い方だって分からないだろう。混乱気味の私に、ボランティア団体のスタッフは笑顔でたたみかける。
 「だまされたと思って、この約束を守ってみてください。子どもたちは、自分で遊び方を見つけ、誇らしげに教えてくれますから」
 頭の中が漫画のようなグルグルマークで一杯のまま、活動説明会の場を後にした。それから5年、私は英語・社会を主に担当する学習支援者として生きている。以下に記すのは、〈子ども支援学〉の理論を胸に抱き、〈指導〉者から〈支援〉者への転換を目指した、5年間にわたる「省察的実践」(※1)の簡単な記録である。

(※1)自らの実践と背景にある理論とを往還し続け、職業人としての専門性を高めていくこと。ドナルド・A・ショーン(柳沢昌一・三輪建二訳)『省察的実践とは何か ープロフェッショナルの行為と思考』(鳳書房、2007年)に詳しい。

1.〈指導〉への憧れと挫折

 「君の授業って、『演説』だよね。」
 大学1年次、サークルの先輩から刺された言葉が今でも忘れられない。
 中学1年生の時、教師(中高・社会科)への夢を抱き、「進学校」から1年の浪人を経てとある「難関私大」に進んだ。生徒会活動で幾度も全校生徒の前に立ち、予備校の大教室で熱い講義を受ける。「みなぎる教養、あふれる知性!」(※2)で教室を知的興奮の渦に包む、「カリスマ講師」的な教師像を抱くのも、当然の流れだった。教職志望者が集まるサークルに入会し、全精力を注ぎ初回の模擬授業を準備した。その「本番」後にぶつけられたのが、上記の一言だった。
 その後、友人の勧めもあり、進学塾でアルバイトをすることになった。着任当初に叩き込まれたのは「〈教え込み〉はNG」。生徒自身が答えを見つけたり、勉強への意欲を高めたりできるよう、「コーチング」を行うこと。言うは易く、行うは難し。苦手な教科や受験生時代に履修していなかった科目では、マニュアル通りの当たり障りのないことしか言えない。逆に得意分野では喋りすぎてしまい、「あなたのやり方は『アドバイス・ハラスメント』だよ」と上司に注意されたこともあった。
 そして大学生活も折り返しを迎える頃、当時所属していた学生団体で学習支援事業の統括を務めることとなった。学習塾がない農村で、現地の小中学生を対象に夏休み限定の塾を開く。午前中は教科指導をし、午後はスポーツやレクリエーションを通じ子どもたちと交流する。教科指導はバイトで経験したものの、遊びによる交流は門外漢。どうしたらいいんだ。
 〈子ども支援学〉に出会ったのは、そんな時だった。

(※2)高校時代、公民科の先生が口癖のように仰っていた言葉。

2.〈支援〉との出会い、「ゆらぎ」

 子ども支援学。安部芳絵、喜多明人。文学部キャンパスの「教育・子ども好き」界隈で時折聞く名だった。そして働く批判精神。どうせまた、「理想の教育」の類いでしょ? しかし、幼稚園児の頃に毛嫌いした納豆も、成人して食べてみたら案外美味しかった。「食わず嫌いだと、人生損をする。」(※3) 3年次の春学期、「子ども支援論」の履修を決めた。
 子ども支援学は、平成の後半に学問として確立された、教育学の比較的新しい研究領域である。もっとも、往時に突如「子ども支援」という営みが発明されたわけではない。子どもの権利条約の理念と福祉分野における〈支援〉の理論を融合し、子ども参加のまちづくり活動などの諸実践を考察材料として用い成立した学術分野である。既存の教育学が〈指導〉的な教育観(成熟した大人が未熟な子どもを教唆する)に基づいていたことへの反省に立ち、「子どものエンパワーメント」を第一義とし〈支援〉的なアプローチを追究する(※4)。
 子ども支援論の授業においては、担当教員の許可を得たうえで、受講生が自ら携わる〈支援〉的な課外活動(ボランティア、サークル等)について告知できる時間があった。その「告知タイム」を通して出会ったのが、冒頭に記した、子どもと里山遊びをするボランティア活動である。
 教室の中だけで振る舞う〈指導〉的な教育者として歩んできた当時の私にとって、その活動はややハードルの高いものだった。ほぼ始発に近い電車で最寄駅を出る(!)のは良いとして、①言葉を覚えたばかりの子どもでも言えるような自分の呼び名を考案する、②明らかな危険がない限り一切の指示や命令をしない、③活動終了後には全ての子ども参加者一人ひとりに向けて具体的なエピソードを込めた手紙を書く、など、生半可な気持ちではやり遂げられない行動が求められた。

 「あの雲、何に見える?」

 しかし、素人が田んぼの中を歩くようにおぼつかない足取りながらも、〈支援〉の畑に足を踏み入れて目にしたのは、それまで見たこともない景色だった。私が触ったこともないようなザリガニを、子どもは一切のためらいなく捕まえる。すっかり忘れてしまった笹舟の作り方を、子どもが「しょうがないなあ」とドヤ顔で教えてくれる。
 「よくできました」などと腕組みしている場合ではなく、目が点になるような驚きの連続だった。「泥んこ運動会」で見事に全身泥だらけになり、仮設トイレで「早着替え」をしたのも、今では良い思い出である。以来、その里山遊びに時折足を運びながら、他の実践をいくつか渡り歩き、〈子ども支援〉の「省察的実践」を続けてきた。
 当然、成功したことばかりではない。〈支援〉者になろうとする過程で、毒にも薬にもならない振る舞いをしてしまったこともある。
 中高生のまちづくり活動を支援しようとするも、ある回のワークショップで考察の阻害を恐れて何も発言できず、「一言も喋らないのなら、あなたがここにいる意味はないよね」と先輩スタッフに呆れられた。家庭教師で中学生を受け持った時、ある日の時間をほとんど生徒の趣味の話に費やしてしまい、親御さんから「ずいぶん楽しそうでしたね」と皮肉を言われたこともあった。
 〈支援〉において重要な概念の一つが「ゆらぎ」である。〈支援〉の立場では、被支援者(例えば子ども)の主体性を尊重するとともに、支援者(例えば教師)が学び続ける必要性を主張する。〈支援〉を行なっていく過程で、被支援者と支援者の両方が「ゆらぐ」ことを認め、その重要性を説く(※5)。
 〈支援〉の専門性は一朝一夕で身に付くものではない。子どもが自転車の練習をするときのように、グラグラと揺れる不安を味わい、時には転んで痛い思いをしながら、前に進む身のこなしを肌感覚で覚えていくのである。

(※3)実父の口癖。
(※4)安部芳絵『子ども支援学研究の視座』(学文社、2010年)。「初の子ども支援学の書」(喜多明人が記した帯文より)と評され、著者が参与観察を行った実践もいくつか紹介されているが、全体としては理論書の傾向が強い。
(※5)安部芳絵『災害と子ども支援 ー復興のまちづくりに子ども参加を』(学文社、2016年)においては、災害復興に関する子ども支援活動に焦点を当て、携わった大人の「ゆらぎ」が詳細に述べられている。

3.結局、支援者にしかなれない

 大学を卒業し、いくつかの職を転々としたのち、塾講師として働くこととなった。志望校合格という目標を掲げ、日々勉強に励む生徒。生徒に教科指導というサービスを提供する講師。生徒は受験学力向上を求め、講師は受験に必要な知識・技術を提供する。この関係性の下では、〈支援〉を捨て〈指導〉に徹さざるを得ないだろうと、就業当初の私は半ば諦めていた。
 しかし、集団授業の講師として初めて卒業生を送り出したいま思う。教育者は、結局のところ支援者にしかなれない。
 「塾って、受験のテクニックを教えるところなんでしょ」という声はよく聞く。そのイメージは一定程度的を得ている。学習塾はサービス業であり、学業成績を向上させたい生徒(・保護者)、教科指導を生業にしたい講師、双方の〈需要と供給〉を満たす形で成立している(※6)。生徒の目標達成という〈需要〉を受け、ゴールに沿った情報や知識を〈供給〉するのは当然のことである。
 しかし、「テクニック」は、基礎的な知識や思考力があって初めて有効に使えるものである。狭義の「勉強」に限らず、例えばスポーツでも同じことが言える。なんとなく振り子のように体重移動をしてバットを振れば、誰でもメジャーリーグでシーズン最多安打記録を更新できるのだろうか。とりあえずジャンプしながらスマッシュを打てば、誰でもテニスで世界と渡り合えるのだろうか。答えは自明である。
 受験勉強という(あまりに狭義な)「勉強」においてもそれは変わらない。先のイメージが「正解」だとしても、本番の試験で答案を書くのは一人ひとりの生徒本人である。前日まで講師がいかに受験に役に立つ知識「だけ」を覚えさせ、1点でも多く部分点を獲るテクニック「だけ」を伝授したとしても(※7)、桜が咲くかどうかは、受験生が試験会場で実力を発揮できるか否かにかかっている。
 試験本番後、答案再現に来てくれた生徒の、達成感にあふれた顔、口元は笑いながらも目はうつろな顔の両方が、脳裏に焼き付いて離れない。ゆえに、年度と担当生徒は変わっても、一つでも多くの桜が咲くように、咲かないままになるつぼみが一つでも減るように〈支援〉を行っていくことが、塾講師の使命だと考えている。

 〈支援〉の精神は、例えば平井堅が「魔法って言っていいかな?」で歌い上げているような、「大切な人」を想う心理に似ているのかもしれない。300人の大教室を沸かせるような大層なことはできない。けれど、目の前にいるあなたが、「勉強」という営みを少し楽しくできるような工夫なら、多少知っているよ。一緒に楽しい時間を紡げるよう、たくさんのことを学び合っていこう。
 さて、これから何をしようかな。生徒一人ひとりの顔を思い浮かべながら、今日も教材研究に勤しんでいる。

(※6)学習塾の広告においては、必ずと言っていいほど「定期テストで〇〇点アップ」「〇〇大学〇〇人合格」といった顕在的な「成果」が全面に押し出されている。
(※7)その過程で、学校教育を必要以上に非難することは、厳に慎むべきである。This is a pen. と発話する英会話の場面は見かけない。しかし、一語加えれば、This is a new pen. と This pen is new. の違いを問うことができる。学校という基盤があるからこそ、塾というオプションは成立する。

より良き〈支援者〉を目指して学び続けます。サポートをいただければ嬉しいです!