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#もう眠副音⑫:誰の意思で眠るのか。

 2月から連載を続けてきた『だから、もう眠らせてほしい~安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語』が、明後日で完結する。

 吉田ユカとYくん。
 この二人の物語を通じて、皆さんは何を感じ取っただろうか。「もう眠副音⑩:ウラ/オモテ」でも書いたように、僕がこの物語を通じて伝えたかったことは2つある。
 まだここではその2つについて語らない。物語が完結して、書籍化されて、その後で語ることもあるかもしれない。でも、Twitterなどで皆さんの感想を読んでいると、大体みんな気づいているんじゃないかな。感想の方向性が、人によって完全に二分されるから。

見えないカンファレンス

 感想と言えば、これまでTwitterを中心にたくさん頂いてきたが、その中で「医療者が患者のことについてこんなに真剣に議論しているとは知らなかった」というものがあった。10章で取り上げた、吉田ユカの鎮静を決めるカンファレンスについてだ。
 確かに、医療者ではない方にとっては、僕らが普段、患者や病状についてスタッフ間で何をどのように話しているのかを見ることはない。また、医療者であったとしても、他の病院の、しかも緩和ケア病棟のような特殊な環境においてどのような議論がされているのかについて知る機会は少ない。その意味で「とても勉強になった」「自分たちのやっているカンファレンスとは全然違う」など様々な感想を頂いた。
 しかし一方で「こんなカンファレンスなんか必要ない」「患者本人か家族も一緒に話し合えるべきではないか」といった感想(批判)も頂いた。この批判は本当に重要なものだ。患者本人と主治医との間で散々に話し合っているにもかかわらず、最終的には医療者だけが集まって、患者と会ったこともない人に、人生の方向性を決められる、という虚しさ。医学的妥当性と患者の苦痛が天秤にかけられる不条理。少なくない人が、この現状に疑問を抱くだろう。

 お堅い話をすれば、このカンファレンスでのプロセスは、学会の示す鎮静についてのガイドラインや、厚労省のガイドラインに基づいた対応であることは確かだ。そこには患者の意志を基本としつつも「医療チームでの合意」が求められると明記されている。
 緩和ケアにずっと取り組むということは、毎日のように患者の苦痛を聞くということだ。Yくんのように大きな苦痛がなく過ごせる方も多いが、一方で吉田ユカのように、治療で一時的に苦痛が緩和してもまた数日で症状が悪化するということも少なくない。毎日のように「今日も苦しい」「何とかしてくれ」と聞かされ続けるうちに、精神が疲弊してしまい「いっそのこと、ずっと目が覚めないでいてくれた方が、何も話せなくしてしまった方が楽なのでは・・・」という誘惑にかられることがないとは言えない。
 そんな危険な考えをもった医師が、独断で鎮静薬を投与してしまわないように、「医療チームでの合意」は大切なプロセスといえる。

 それでも鎮静に関して、患者の意志からあまりにも遠い方針が決められるのも問題だ。
 今回僕は、この物語を通してカンファレンスを「見えるようにした」。このプロセスを読んで、医療者も、医療者ではない人も、どうしていくのがいいのかを、考えるきっかけにしてほしい。今この時にも、医療の常識と患者個人としての希望の狭間で、苦しんでいる患者さんがいる。それは明日のあなたかもしれない。
 僕は僕でこれからも、できる限り患者の意志が反映できる戦略を考えていく。Aさん、そして吉田ユカが教えてくれたたくさんのことを抱えながら。

 明日の「エピローグ~Kawasaki-side」では、5章でインタビューをした幡野広志さんがもう一度登場する。吉田ユカが行きたがっていた対談前の控室で、幡野さんに彼女のことを報告する場面だ。ここでもテーマの「ウラ/オモテ」がおぼろげながら見えてくると思う。吉田ユカとメッセージをやりとりしていた幡野さんが、この顛末についてどのような感想を述べたのか、注目してほしい。

(これまでの幡野さんとのやり取りを振り返りたい方はこちら)

 そして明後日の「エピローグ~Kushiro-side」には、Yくんの奥さんのその後が描かれる。自宅で最期を迎えたYくん。泣けなかった奥さん。その後が気になっていた方も多かったのではないだろうか。そして最後までちょっと情けない僕の姿も描かれている・・・。

(Yくんと奥さんのエピソードを振り返りたい方はこちら)

 本当に今週で完結かと思うと少し寂しい。
 20万PVで書籍化、についてはまだ少し届いていない。ぜひ記事をシェアして、書籍化の実現に協力を願いたい。書籍版には、note版では描けなかった追加エピソードや、まだ公開されていない特別インタビューなどが掲載される予定だ。また書籍版で、みなさんとお会いできるのを楽しみにしている。

Today is my birthday.

 この記事が公開される4/22は、偶然にも僕の誕生日。
 40歳になった。
 自分が20代の頃には、40代の自分なんて想像できなかったけど、なってみたら「こんなものか」という感じ。小学1年生の時に、「6年生って、でけえな」と感じてて、いざ自分が6年生になったときの面映ゆさとはだいぶ違う。
 不惑の歳、というのも40歳になったらみんな言うよね。
「不惑を迎えましたが、まだまだ迷いの多きワタクシでございます」
なんて言うオジサンたちをずっと見てきて、
「なんでみんなして同じこと言うんだ?」
って思ってたけど、
「不惑=道理も良く知り、枠にとらわれない自由な発想で物事を考えること」
という解釈もあるみたい。僕はこっちの方がいいなあ。これまで積み重ねて来たものの上に、たくさんの新しいものを載せていける40代。30歳のころは、確かに立つだけで精いっぱいで、まだ土台がぐらぐらしていたけど、30代後半からは少し余裕が出てきたように感じるもの。
 より若い世代から学ぶことが増えてきたのも最近のこと。30歳くらいだと、20歳くらいの価値観が、単に「理解できなかった」。いまは、世の中の道理に照らし合わせて、彼ら・彼女らの言い分が見えるようになってきた気がする。
 そうやってこれから、また新しいことを積み上げていけたら、10年後には天命を知ることができるのかな。いのちがある限り、これから何が見えるのか、精いっぱい生きてみたいと思う。

※このnoteの売り上げは僕個人の収入にはならず、全て『だから、もう眠らせてほしい』の舞台にもなった、暮らしの保健室社会的処方研究所への寄付となります。ただ、暮らしの保健室・社会的処方研究所は2020年4月現在、感染拡大を受けて一部の業務を休止しています。会員向けにオンライン暮らしの保健室を開催していますが、収益事業については動かせていません。いま、オンラインでのプログラムも強化・構築中ですが、もう少し時間と資金が必要です。もし、僕の「四十賀」をお祝いして頂けるのであれば、このサイトを通じてご支援を頂ければ嬉しく存じます。何卒宜しくお願い致します。

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