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女子力、行動力、コミュ力…、そのチカラは呪いなのかもしれない

 女子力、行動力、共感力、英語力、コミュ力、……。現代日本には、たくさんの『力』があふれています。

 テレビやネット、本、広告などで触れる、たくさんの『なんとか力』。もしかしてそれって『呪い』だったんじゃ……。

 『行動力』に関する本を読んでいて、ふとそう感じたんです。

 行動力という概念が生まれると、それと同時にあるものが生まれます。それはなんだと思いますか? それは『尺度(ものさし)』です。そしてその尺度が『優劣』や『自己否定』を生むのです。
 どういうことかと言いますと、『行動』という言葉に『力(チカラ)』という言葉がくっついた瞬間から、当然のようにそのチカラの『有無』という対極が発現してしまいます。『行動』という言葉単品であれば、有るだの無いだのという体協は存在していなかったのです。
 ところが『力』という材料が合わさると、まるでねるねるねるねのように、まったく別の色(はたらき)へと変化するんです。

自分ルールを都合よく改正すれば人は勝手に行動する! 野村こころ


 例えば女子力。『女子』は、ただの生物的な分類です。だけど『女子』に『力』がつくと、

・容姿がかわいいか、かわいくないか
・愛嬌があるか、ないか
・料理がうまいか、うまくないか

 『女子力』には、それらの項目の「有無」を判定する意味がくっついてきます。そうすると、どうしても人と比較してしまい、「私はあの子よりかわいくないし、愛嬌もないし、料理もうまくないし……」と、劣等感を感じるもとになってしまいます。


 『コミュ力』だってそうです。コミュニケーションという言葉は、会話や文字、ボディーランゲージなどを通して、お互いに思いを伝え合う……、そういう状態を指す言葉であったはずです。

 なのに『コミュニケーション』に『力』がくっついたとたん、「思いを伝え合う力が、まわりの人と比較して、有るのか、無いのか」を問う言葉となってしまいます。そうすると優劣が発生し、「私、コミュ力ないから……」と劣等感を感じる原因となってしまいます。

 もしかしたら私たちは、『力』という名の呪いにかけられ続け、知らず知らずのうちに自信を奪われているのかもしれません。


 やっかいなのは、『力』という名の呪いは、お金儲けをしたい企業の思惑にぴったりなことです。うまく呪いにかかり、劣等感にさいなまれている人というのは、ビジネスのカモになり得ます。

「女子力が足りないあなたに、この商品を!」
「コミュ力を高めるために、このセミナーを!」
「noteを始めたばかりのそこのあなた!『必ずバズる!ブログ発信力を高める10の法則』を読みませんか⁉」

 劣等感を感じていればいるほど、つい、こういう甘言に乗ってしまいたくなるもの。私もつい乗ってしまった経験が、数えきれないくらいあります……。

 こういうビジネスがすべて悪いわけではありません。自分の力を高めるために努力することも大切です。だけど、「そもそも女子力もコミュ力も発信力も、ただの呪いなんだ」と気づかない限り、根本的な解決にはならないのかもしれない、と思ったんです。


 あまりに身近すぎて意識することすら難しい『力の呪い』。少しずつ剥がしていけたら、生きづらさも軽減されるのかもしれません。

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