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介護施設と死生観

約10年前の私がホーム長時代の命を考えるの体験について、お伝え致します。
・癌末期で余命宣告をされたご入居者とその奥様と娘様の話です。
 ご入居者は「延命などしない。いつ死んでもいいから、ホームにいて好きなことをしたい」と言ってみたり 「延命したい。病院で最後でも構わない」
 と日々言っている事が変わり、ご家族も困り訪問診療医や病院の先生も困り果てておりました。ホームの職員もみんな、看取りケアをしたり、やはり入院したり変更続きでヘトヘトに。。

 食事がとれなくなり、24時間点滴をするときには病院に入院し
 「やはり病院で死ぬのは嫌だ。ホームに戻りたい」と。

 ご家族はまた、意見が変わり申し訳なさそうな雰囲気。。。

 ここでホーム長の私と生活相談員もケアマネも介護職員も看護師で話し合いました。ホーム内の多職種で話し合いを持ちました。
 とことん一緒に迷おう。心変わりに最後の最後まで付き合おうと、その都度、たまには医師に
 「また方針が変わったのか」と嫌味を言われなが、ご家族とともに悩みました。

 やがて、病院やホームでの入退院を繰り返し、心変わりを繰り返しそのご入居者は亡くなりました。
 ホームで、経口摂取が出来なくなったご入居者に少しでも楽しみをと、お好きなワインを凍らせてかき氷にしてほんの少しづつ舌の上にたらしたり、
 好きなクラシックの音楽を聴いたり、アロマをたいたり。 最後はホームで亡くなりました。。たまたまホームでなくなりました。タイミング次第では 病院だったかもしれません。

 ご家族は最後に「あの時、一緒に悩んでくれてありがとう。ホームの職員さん皆様本当の家族だと思っていました。」

 ご葬儀では、ホームでお看取りさせて頂いた時と、同じような環境がありました。
 お好きなクラシック音楽とアロマ、棺にはワインも入れて。。。

●マネジメントを発案したドラッカー
「リーダーシップの知識や経験よりも真摯さを優先する(カリスマの否定)」の名言。
→ホロコーストを経験(自身はユダヤ人として亡命)

●スティーブジョブス
すい臓ガンを患い発見した際には医師たちから余命が3-6ヵ月宣告をされる。
→毎朝、今日という日を人生最後の日だと考える、つまり、自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。ジョブズはこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな助けになったと

二人のリーダーも命について、死生観について、よく考え思考していたのでしょう。

●最後にこの歌詞を

歌:Mr.Children
作詞:桜井和寿
作曲:桜井和寿

「花 〓Memento-Mori-」
負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろうふと自分に 迷うときは 風を集めて空に放つよ今

〓Memento-Mori-
メメント・モリ(memento mori)とは、ラテン語で「死を想え」「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」といった意味の警句。
「死」を身近に感じるからこそ「生」が輝くわけです。死を身近に感じることがない私たちは、いつのまにか生きることに対しても鈍感になり、本当の意味で生きていないのかもしれません。そんな私たちに強烈な喝を入れてくれるのがこの「メメント・モリ」という言葉です。

生きるために命を考えようと思った経験でした。

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