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2021年1月に産んだ次男がダウン症だった話〜中編〜

もうすぐ4ヶ月になるうちの次男は

福岡では珍しく大雪が積もった日に産まれました。

その後彼は21トリソミー(ダウン症)と

診断されました。


今回は中編。

産院退院から付き添い入院までの

私の心境の変化などをまとめました。


前編もあわせて読んでいただけると嬉しいです。




生後4日目 産院退院


赤ちゃんがいない状態で

入院していることが辛く、1日早く退院。

産院は他の赤ちゃんに会わないですむように

最大限に配慮してくれて、

とてもありがたかったです。


妊婦健診のときに思い描いていた退院とは

かけ離れた私1人の退院。

産院の看板の前で夫と長男と次男の4人で

記念写真を撮りたかった。

家に帰ると長男が初めて書いたひらがなで

お手紙を書いてくれていました。

母大号泣。


もう涙腺の蛇口がバカになっていた。

長男は帰ってこない弟と、

しくしく泣き続ける母を

どんな風に思っていたんでしょうか。


心なしか私に対していつもよりも

ひょうきんに接してくれていたように思います。




退院後 乳牛と涙腺崩壊


ダウン症の滑舌の改善に、

直母で飲ませることが良いという記事をみつけた。


入院中に読んでいたので

(口全体と舌の筋力アップになるとのこと)

とにかく1日8回以上をノルマに搾乳。


搾乳機で母乳を搾ると乳牛になった気分で、

惨めというか寂しい気持ちでいっぱいでした。


それでも凍らせた母乳を次男に届けるために必死。

携帯で3時間ごとにアラームをかけて夜中も起きて。


その甲斐あって次男はNICU出身のくせに

今のところほぼ完母ちゃんという奇跡w

乳牛作戦大成功でした。


メンタル面は

産後のホルモンバランスの乱れもあり、

1番辛い時期でした。

やはり気分はジェットコースター。


長男をみて、

次男はこんなふうに「ママー!」って

呼べる日が来るんだろうか。


こんな風に走り回ったり

できるようになるのだろうか。


長男の寝顔を見ながら泣きました。


次男のために準備していた服を見て、

この長袖は着れずに終わるかもしれない。

(コロナの影響で衣類の持ち込みが禁止でした)

ベビーバス、授乳クッション、おもちゃなど

全てを見るたびに

涙がポロポロ。


一旦押し入れに全て片付けました。


検索魔も健在で、ポチポチ。

NICUで撮ってきた次男の動画と、

検索結果を見比べて一喜一憂。

産後の鬱一歩手前だったと思います。


いや片足つっこんでいたかも。





1/14緊急事態宣言


NICUはコロナの影響で

もともと面会時間が1日15分となっていました。

なので私も夫もまだ15分以上

次男に会ったことがない状態。


そこに1/14にでた福岡の緊急事態宣言。

面会時間がさらに短縮され1日5分に。

命を守るためとはいえ最悪のタイミングでした。




たった5分の面会に毎日通う


産後歩くのがやっとで、

1人でバスに乗れるまで体力が回復しておらず、

夫と車でNICUに通っていました。

冷凍していた母乳を保冷バッグに詰めて。


この時の次男は水分量が明確に決められており、

30ccは必ず飲まなければいけない状態でした。

哺乳瓶で飲み干せなかった母乳は

経口チューブという口や鼻から胃に繋いだ

チューブで流し込まれていました。


そんな中で哺乳瓶で55cc飲んだと聞き

とても嬉しかった。

純粋にたくさん飲んでくれて

嬉しかったということと、

ダウン症だったら吸引力が弱いから、

そんなにたくさん飲めるはずがないという

思い込み(これもネットからの情報)から、

やはり次男はダウン症じゃないと

思い込みたかったんだと思います。




染色体検査の結果


検査結果が届いたとのことで夫と病院へ。


もしかしたら私に似ているだけで

ダウン症じゃないかもしれない。

つり目も鼻ぺちゃも私に似ているだけ。

そうだったらいいねという話しをした反面、

もしもダウン症だったら、

次男のこれからの話を

しっかり聞こうと話していました。


これから次男はどうなるのか。

という話をしながら病院に向かいました。


NICUの個室で担当の先生2人、

看護師さん、カウンセラーさんと夫と私。


見せられた紙には21番目の染色体が3本。

次男はやはりダウン症でした。


覚悟はしていたはずなのに、

9割そうだと思っていたはずなのに、

涙と鼻水でマスクはびしょ濡れに。


先生たちのお話は、

合併症は今のところ

心臓の病気(心室中隔欠損)のみ。

他の数値は正常で今のところ心配いらないこと。

中耳炎には注意すること。


他のダウン症の子どもを育てている家族に、

コンタクトをとることができるということ。


次男がこれから大きくなった時、

生きていきやすくするために

療育というサポートがあること。


それから、

ゆっくりではあるが確実に成長するということ。




生後1ヶ月をNICUで


次男はNICUで1ヶ月を迎えました。

担当の看護さんが次男を

めちゃくちゃ可愛がってくれていて、

とても嬉しかった。


面会は相変わらず5分間のみでしたが、

看護師のみなさんが交代で

すごい手の込んだ育児日誌を書いてくれていて

次男の成長を知ることができました。


この日誌は次男が大きくなったら、

「あなたはこんなにたくさんの人に

助けてもらったんだよ」と

見せてあげるために

大切に保管しておこうと思います。


そして、55ccを毎回全量哺乳瓶で

飲めるようになったので、

経口チューブを卒業!


1ヶ月ぶりに鼻にチューブの付いていない次男と

写真をとりました。





落合陽一さん


夫が落合陽一塾のメンバーで、

落合さんに次男のことでメッセージを送りました。


するとめちゃくちゃ忙しいのに、

ご本人から返信をいただけました。


色々回答していただいたなかで

「本人にとって障害というのは関係ない。

障害は周囲との関係性の問題。」

と言われていたのが、

心のどこかで私が1番気にしていたことを

明確に指摘してくれたように感じました。


夫は「幸せっていうのは本人が決めるもので、

外野の俺たちが決めるものでは

ないんじゃないか。

次男が自分は幸せだと思えるように

最大限にサポートしていこう」


これが私たち夫婦にとっての

最大のターニングポイントになりました。





手術


2月中旬に手術日が決まり、

小さな小さな心臓に空いた4mmもの穴を

塞ぐ手術を行いました。


生まれて1ヶ月。

4キロにもならない身体で5時間の手術。

本当に頑張りました。

胸に大きな傷痕が残りましたが、

これは次男が頑張った勲章です。


もし本人や周りの人に何か聞かれたら、

すごいでしょ!頑張った勲章です!と

私が胸を張って答えようと決めました。




PICU


手術後PICUに移動。

ここから病棟に上がる

(集中治療室を出るということ)ようになるまで、

モニター越しの面会のみになりました。


薬の影響で意識が朦朧として、

焦点が合わない次男を

モニター越しに見つめて、

冷凍の母乳を看護師さんに渡して帰る。


そんな日が続きました。




ついに病棟へ!付き添い入院


私に似たのか食欲旺盛な次男は順調に回復。

最短で集中治療室を出ることができました。


私との付き添い入院のスタートです。

初めて15分以上次男と会うことができて

とても嬉しかった。


LINEの通話で初めて長男に

弟を会わせてあげることもできて、

ニヤニヤの母。


長男の反応が照れながらも

お兄ちゃんの顔をしていて

とても微笑ましかったです。


長男は手術のときは

京都のおばあちゃんの家で

いい子に待っていてくれて、

付き添い入院中はパパと家で2人きり。

5歳でいろいろわかるとはいえ、

寂しい思いをさせたと思います。

LINEを切るたびに帰ったら

いっぱい甘やかそうと思っていました。


退院の条件は

手術後に再度つけていた

経口チューブ(鼻や口と胃を繋ぐチューブ)が

完全にとれること。

哺乳瓶か直母で水分量が確保できること。


早く連れて帰りたい気持ちと、

直母で飲ませたい気持ちと、

薬のせいで、中々増えない体重への不安。

コロナで面会も交代も禁止だったため、

ほぼ新生児と娯楽のない部屋でマンツーマン。

寝不足と、抱っこでの筋肉痛と、

空腹との戦いで壮絶な入院生活でした。




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