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「なぜ部下とうまくいかないのか」を読んで、あるいは曖昧さを受容したその先について

とてもよい本だったので、印象に残ったところと、感想をまとめました。

第1章 何をすれば関係は良くなるのか―成人発達理論とは何か

より俯瞰的に物事を見えるようになること」や「自分をより客観的に見えるようになること」は、成人以降の発達における重要なポイントです。

意識段階が高くなればなるほど、物事を広く・深く捉えることができるようになってくる……意識段階が高いほうが良いとは一概には言えないのです。

発達理論の世界では、「私たちは、自分よりも上の意識段階を理解することができない」と言われています。

ジェーン・ロヴィンジャーは、「人間の意識の発達とは、曖昧さに対する耐久性の増加である」と述べています。
要するに、私たちの意識が成熟していくと、他者のみならず、置かれている環境なども含めて、私たちを取り巻く曖昧なものをより受容することができるようになる、ということです。

キーガンの発達理論のポイントは、「私たちの意識は、一生涯にわたって成長・発達していく」という点です。

読んでいて思い出したのは、学生だったときのこと。

当時は、物事が「白黒」の2つに分けられて、問題には「正しい答え」があると思っていた。

だけど会社員として働くようになると、別の世界が待っていた。仕事に「正解」はなく、解くべき「問題」を自分で考えなければならないのだ。


お客様は何に困っていて、どういうツラさを抱えていて、何をされると嬉しいのか。

どんな仕事も、シンプルに考えると、やっているのは「目の前の人の課題を解決すること」だ。

「意識段階が高いほうが良い」わけではないが、曖昧さを受容し成長・発達することで、きっと、より多くの人により喜んでもらえる力が身につく。

人に喜んでもらえることがうれしいから、これからも自分と向き合い成長していきたいなと思う。



第2章 自分に関係することにしか関心を寄せない部下―道具主義的段階への対処法

私たちは複数の発達段階にまたがる「発達範囲」を持っています。

私たちには「意識の重心」と呼ばれるものがあるのです……私たちの意識には、ある種の「重心」のようなものがあって、状況や感情状態が変われば、重心を中心としながら揺れ動くイメージです。

自分の感情を客観的に把握することができないと、その結果、すぐに感情的になってしまったりすることがある……。

人間は決して一つの意識段階にとどまっているのではなく、意識の重心を中心として、状況や文脈、感情状態に左右されながら、意識段階が上下するということだ。

揺れ動く意識の重心。

私とは何か 「個人」から「分人」へ」の中で、平野さんが言っている「分人」みたいだと思った。

分人(= わたしの中の様々な私)は、「どんなコミュニティにいるか、いま誰と話しているか」によって、それぞれに合った自分が出てくる、という考え方だ。

分けられる人。「本当の自分」はいないとも言える。


仕事の会議をしているとき、友だちと話すとき、家族といるとき。

それぞれの場面で相手や場に合わせた「分人」が発露し、情報や感情のやりとりをしている。

「意識の重心」も、外部環境(状況)と内部環境(感情)に影響を受けて、揺れ動いているのだろうなあ。



第3章 上司には従順だが意見を言わない部下―他者依存段階への対処法

私たちの成長・発達は「含んで超える」という原則に基づいています。

この段階ではまだ、自分の意見や考えなどを表明することが難しく、それは自分独自の価値体系がまだ十分に構築できていないためだと考えられます。

発達段階3は、情報を受け身的に取り入れることはできるが、それらを組み合わせて、新たな意味を構築する力が脆弱である。

自分の考えを言語化するような習慣づけを強化するのがいいのではとふと思いました。言語化の意義は、「自分の内側の声の発見」につながることにあると思います。

人間の発達とは、曖昧なものを受け入れるプロセスである」と述べた方は?……自我の発達研究の大家ジェーン・ロヴィンジャーですね。
ロヴィンジャーの言葉を言い換えると、「人間の成長は、曖昧なものを受け入れていくことによって初めて成し遂げられる」と私は思っています。

世の中には、二項対立の考え方が溢れている。

「デザイン思考(アウトサイドイン)」と「意味のイノベーション(インサイドアウト)」
「ブリコラージュ」と「エンジニアリング」
など。

これらは一見すると二項対立の関係にあるが、見方を変えれば、一方を否定することなく「止揚」することができるのではないか。


「含んで超える」という言葉と出会ったとき、わたしの脳内で上記の「止揚」と、「アサーション」が繋がった。

対立する二つの概念を、新しいパースペクティブで統一する「止揚」。
「Yes, and」で受け取り上乗せする、「アサーション」なコミュニケーション。

どれにも共通するのは、それぞれの考え方を否定することなく受け入れ、「理解分解して再構築する」ことなのかもしれない。



第4章 自律性が強すぎて、他者の意見を無視する部下―自己主導段階への対処法

段階4の人は、他者を独自の価値観を持つ大切な存在であるとみなし、敬意を表すことができるようになります。

発達段階4の人は、自分の意見や主張を明確に語ることができる点に加えて、自分自身を合理的に律することができるようになります。

実存心理学の始祖とも呼ばれるロロ・メイは、「探究的な問いを自らに投げかけられるようになることが、真の意味での自己構築の始まりなのである」と述べています。

プロフェッショナル人財というのは、単純に何かしらの専門家ということを意味しているのではなく、主体的・自律的に行動できる個人だと思ってください。

向学心があり、強い成長意欲を持っているということですね。実は、それも段階4の特徴を言い当てていると思います。

最近、仕事で「覚醒(かくせい)」を感じることがあった。

仕事の姿勢が受動から主体ベースになり、「ひとりで早くやるから、みんなで良いものを作る」へ意識が変わったのだ。

この現象はつまり、「意識の重心」が段階4に移動したことによるのだろう。


大学を卒業して働くようになり、早10年。

自分で自分のことを評価するなら、まだまだ幼く未熟なところも多いように感じる。ただ振り返れば、10年前5年前、そして1年前の自分を「含んで超えてきた」ようだ。

以前は見えなかった景色が見えるようになったから。

「自分と向き合うこと」と他者への敬意を忘れずに、世界と自分の探求をこれからも。



第5章 多様な部下との関わりから他者の成長に目覚める―自己変容・相互発達段階における変革型リーダーへの成長

人間の成長・発達は葛藤を乗り越えていくプロセスでもあるのです。

段階5の人は、自分の価値観に横たわる前提条件を考察し、深い内省を行いながら、既存の価値観や認識の枠組みを打ち壊し、新しい自己を作り上げていけるのだと思います。

彼らにとって、「生涯続く学びそのものが、自分の人生になる」のです。センゲ教授も、「学習を通じて、私たちは新しい自己を形成していく」という指摘をしています。

発達段階が高度になっていくにつれ、必ずしも生きることが楽になったり、人生が良くなったりするとは言えません

発達段階が高度になればなるほど、突きつけられる課題がより過酷になもになるため、間違っても「発達することは良いことだ」と短絡的に考えてはならないと思っています。

楽なことと楽しいことは違う。

自由の中には、自分で決められる「楽しさ」があると同時に、自分で決めなければならない「楽のなさ」がある。

成人発達理論で言えば、周りに合わせることに重心がある「段階3」のほうが「楽であり」、主体的・自律的に行動する「段階4」、さらには自分をアップデートし続ける「段階5」のほうが「深い楽しさ」がありそうだ。


もう知る前に戻ることはできない。

学ぶことはいいことばかりでなく、残酷さを伴う。学習に終わりはなく、ひとつ賢くなったと思ったら、また次のわからないことと出会う。だけどそれは希望でもある。

私たちは、いつからでもいつまでも、変わり成長することができるという。


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