ファイナル最後、最後ファイナル
2024年12月7日土曜日。
寂しい。
終わってしまうことが寂しい。
でも席をご用意されたあの日から、待ち遠しくて嬉しくて、そりゃ毎日じゃないけど生きるのが楽しくって、仕事はもともと好きだけどさらに好きになっちゃったりして、その日の為に生きてるって言っても過言ではなくて。
でも、明日が終わってしまったら、私はどうやって生きていこう。
私、来年も笑っているのだろうか。
どんなことで私は笑ったり泣いたりするのだろうか。
この1年、ほんとうに自由に自由に生きてきた。
2025年は36歳になる。
年齢なんて気にしていないと自分では思っているけれど、ふとした時に重くのしかかってくるのも嘘じゃない。
彼氏なんていらない、子どもは産まない、と、固く決心したわけではない。ひとりの楽しさも、誰かといる楽しさも知っているから、彼氏欲しいでしょ、子ども産みたいでしょ、と言われると、そうかもしれないって思う。
私は私らしく生きていきたいけど、
私は私らしくがわからない。
誰かが言う、
楽しそうに生きてるね、は
そんな人生、私には無理。と同意だと思う。
そんな夜は金星の光が届いても寂しい。
2024年12月8日日曜日。
この日が来てしまった。
ずっと待っていたはずなのに、どうしてこんなに悲しくて寂しいのか。
12月ということも後押ししていると思う。
年の瀬ってこんな感じ。
どうしても終わることの方に焦点が合ってしまう。
東京ドームには55000人が入るらしい。
私以外の54999人はどんな気持ちなんだろう。
54999人もいたら、35歳女性独身フリーランス、みたいな人、何人かいるんじゃないだろうか。
そうじゃなくても、いくつになっても自分らしさなんてものを見つけられない人がたくさんいるんじゃないだろうか。
やはり年齢にとらわれているのは、日本とか世間ではなく、わたくし。
かき混ぜすぎた納豆が苦手だ。
いまそんな感じ。
発酵した悩みみたいな、不安みたいなものがぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、さらに泡立っちゃて、食べることができない。消化できない。
だから納豆を食べるとき15回くらいしか混ぜない。
自分の席に着いてからもずっと寂しい。
結論からいうと、始まるまえから泣いていて、終わるまでずっと泣いていた。
でも終わるころの涙は寂しさだけじゃなくなっていた。
私にとってBUMPOFCHICKENは灯台だ。
生きるのは最高だって、今日言えた。
それだけでまた生きようと思った。
うん、そうします。
この寂しさも私だけのものだから、大切にしてやることにする。
東京ドームの風に押されて見上げた空に月を見つけて嬉しくなったりして、
さらに冷たくなった風が涙を乾かして、
ひとりで飲んだ缶ビールはめっちゃうまかった。
やっぱり
生きるのは最高だ。