堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え
江戸幕府創設者 徳川家康
●これは東照公(徳川家康)御遺訓のひとつである。家康の「堪忍ぶり」については、彼の生涯を追っていけばよくわかる。
●ところで、堪忍というのは、普通は人から受ける過酷な仕打ちに、よく耐えることを言う。が、家康が言うところの堪忍は、そういう言葉上の上での意味にさらに深い意味が込められている。
●つまり、彼の言う堪忍とは、自分自身の欲望や身勝手な行為をも、なるべく抑えるということも意味しているのである。ひらたくいうなら「今に見ていろ」式ではないのだ。「韓信の股くぐり」とは違うのである。
●家康がなぜこういうとらえ方をしたかについては、面白い話がある。
●もともと家康は生まれつき短気で怒りっぽい性格であった、という。その証拠としてあげられるのが、家康のつめを噛む癖である。
●つめを噛む癖があるのは、短気な性格の表れだそうだ。なんでも、アメリカの軍事研究によれば、つめを噛む癖のある軍人は、戦いを目前にすると精神状態が異常になる者が多いといわれる。また、ナチスのヒトラーは、よく指しゃぶりをしたといわれ、こうした性癖の持ち主は、自己の精神状態を自分でコントロールすることができない人間が多いらしいのである。
●家康も戦いに臨んで、特に自軍の形勢が不利になると、よくつめを噛んだそうだ。その最もよい例が、関が原の合戦で、小早川秀秋の軍が松尾山に陣取ったまま動かないのを見て、家康はつめを噛み続けていたという話が残っているくらいである。いらいらする気持ちをつめを噛むことで落ち着けようとしていたわけだ。
●だから家康が『忍』をよく言うのは、自分が短気な性格で、短気なままに思慮なく行動すれば身を滅ぼすことをよく知っていたのである。遺訓は、子孫への教えであると同時に、家康自身への戒めでもあったのだ。
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