優しくするのは優しくできるときでいい
高校の卒業式に、手紙をもらった。3年間同じクラスだったその子からの手紙にはこう書いてあった。
「正直○○(私)は、自分の気持ちを言わずに押し込めてしまうことが多かったんじゃないかなって思う。それは優しさだと分かっているけれど、イライラしてしまうこともありました…」
その続きには感謝も綴られており、読んだ当時はそれほどショックを受けなかったものの、これがボディブローのようにジワジワ効いてくるのである。
その頃の私は、いわゆる八方美人だった。当時の褒め言葉は、よく笑う・謙虚・聞き上手の3点セット。正直、そのおかげでなんとかなった場面も多々ある。
しかし、本来の私はめちゃくちゃ我が強い。すぐにイラッとしてしまうし、嫉妬もする。その性質を隠すように、必死に八方美人を演じてきたのだ。(今思えば隠しきれてはいなかった気がするけど。)
その努力が報われるとは限らないということに、この手紙を読んでしばらくして気づいた。最初は「今までの気遣い全部返せよ!!」と理不尽に憤っていたのだが、「自分が我慢してやってきたことが、人をイライラさせるなんて本末転倒じゃねえか」という気持ちも湧いてきた。
気遣いが無駄だ、なんてことはない。無駄にしないためにも、私はしてもらった気遣いには感謝できる人でありたいと思っている。でも、その思いが伝わらないことはあるし、「その気遣いいらないよ」って思う人もたぶんいる。
それだったら、無理してまでやらなくてもいいんじゃないだろうか。
全ての気遣いをなくすのではなく、自分が苦しい気遣いはやめる。報われない気遣いをやめるのもありだ。これであなたの気遣いレベルが減るわけではない。出力を減らすだけだ。
私はいまだに「気遣い返せよ!!」とひとりで怒ってしまうことがある。優しさを振り絞った自分がみじめになって、泣いてしまうこともある。
そんなときは、自分の努力が相手からのリターンを上回ってしまっているのだ。
無条件に優しさを振りまけるほど、器は広くない。そんな自分を責める必要はないし、「優しさの天秤を釣り合わせる」ぐらいの気持ちで人と付き合っていければいいなと思う。
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