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心の中のアンチを飼い慣らす

「失敗は成功のもと」「ピンチはチャンス」
どんな出来事も、自分の捉え方次第で前向きに変換できる。

このような「ポジティブ変換」に対するアンチが心の中にずっと住んでいた。

自身が抱えている不安をぽろっと口走ってしまったときに、「でも私だったらこうするな」と前向きそうな解決策を提示してきた同期には、一生負の感情なんてみせるもんかと固く誓ったし、会社の中での立ち位置に悩んでいた友人に、ほかの友人が「人生の映画の中のワンシーンだと思えばいいんだよ」などと言い放ったときには、危うく中指を立てそうになった。

ポジティブ変換を耳にすると、「ポジティブ変換できない自分」も責められているような気持ちになる。ポジティブに変換できないような出来事を抱えた状態で自分本体も否定されたら、どこにも逃げ場がなくなってしまうではないか。そう思っていた。

その強烈なアンチが、夫との会話で少し落ち着いたのだ。

夫は、ポジティブ変換を「出来事を俯瞰するツール」として使っているらしい。全く別角度の捉え方を目にすることによって、客観的な自分を作ることができるとのこと。その上で、起こった出来事をただ事実として捉え、思考をニュートラルにしていると言っていた。

「過去があるから今の(ハッピーな)私がある」「苦しい経験をしたからこそ、それが糧になっている」なんて思い込むのは無理があるだろ、と思っていた私は妙に腑に落ちた。

ポジティブもネガティブもジャッジする必要はないのだ。出来事から距離を置いて見つめることによって、今の苦しみが少しやわらいだり、過剰に過去を悔むことが減ったりするのかもしれない。

ポジティブ変換を押し付けてくる人は好きじゃないけれど、煮詰まったときに俯瞰するツールとして使うのはありなんじゃないかと思った。

心の中のアンチは、時として自分にも刃を向ける。無理にそいつを殺す必要はないけれど、飼い慣らせるぐらい落ち着いてくれれば、自身を責めることも減っていくのかなと感じている。


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