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「言葉にする」とは「分離して定義する」作業

文章を書いたり話したりしていると、自分が選んだ言葉に納得できないことってありません?

逆に、他の人の言葉がすっと入ってくることもある。


言葉って、感情という無形のものを定義する道具だと思う。

そのとき、感情は自分から分離されている。そして、言葉にしたときに初めてそれが目に見える形で定義される。

感情を俯瞰できなければ、分離はできない。周りから見た自分を俯瞰できなければ、伝わるような言葉で定義することができない。

それが上手な人はやっぱり魅力的だ。私も上手になりたくてnoteを書き続けている。

そして、そう思えば思うほど、自分の中の感情を全て言葉で定義したくなってしまう。

もちろん、言葉にすることですっきりしたり人と話しやすくなったり、いいこともたくさんあると思う。その一方で、曖昧にしておくよさもあるんじゃないだろうか。


曖昧な感情はふわふわして掴みどころがなくて、でも私はそれに浸るのが好きだ。

小説を読んだあと。映画を観たあと。コーヒーを飲んでいるとき。山を歩いているとき。

言葉が頭に流れない時間は豊かだ。

だから、全てを言葉にしようとしなくてもいいのかもしれない。見える形で伝えなくても、自分の心が満たされているならきっとそれでいい。

自分の言葉を育てながら、感情の曖昧さや複雑さも大事にしていけたらいいですよね。


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