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神様、僕を苦しめた奴らを地獄へ堕してください。 昭和漫画に育てられた90年生まれの作家が描くコミュニケーション不全と回復の物語『臆病の穴』

※本記事は、「マンガ新聞」にて過去に掲載されたレビューを転載したものです。(編集部)

【レビュアー/タクヤコロク

名もない作家がネットで注目を集め、書籍化・単行本化が決まる漫画家が、最近増えている。

僕の好きな漫画家・イラストレーターの小山健さんもそのうちの一人で、彼が描くオブラートに包まない実直な心の叫びはSNSで広く拡散され、糸井重里さんも共感するなど大きな反響を受け、2014年には待望の単行本を出版した。

今回紹介する『臆病の穴』を描く、史群アル仙(しむれ・あるせん)という漫画家も、そんなネット発の漫画家だ。2014年にTwitter上で1ページ漫画の更新を開始したところ、世の中の不条理さを、昭和漫画のようなノスタルジックなイラストで描く独特な表現が、多くの人の目に留まった。1990年生まれという若さとのギャップも大きな魅力になっているのだろう。

余談だが、彼女が作品の最後に記載するクレジットの書き方が、先日マンガHONZの角野がレビューをした故・永島慎二さんのクレジットの書き方とそっくりなのだ。永島慎二も昭和を代表する漫画家の一人であるから、史群さんの作品の随所に昭和漫画家のテイストが見て取れる。

『臆病の穴』は、そんな彼女がはじめて商業媒体「Champion タップ!」で連載している短編を集めた漫画である。ここでストーリーの一部を紹介しておこう。

登場人物とパートナーとの越えられない「壁」と「いびつな愛」

「怪物父さん」
愛する母を失い怪物となってしまった父を、娘のちひろが世話をするという物語だ。医者からは「怪物となった父を人間に戻すには、亡くなった母の代わりに生粋の『愛』を与えること」と言われ、娘は思い悩んでしまう。
「しかばね」
人間の影には意志が宿っており、本体である人間とは異なる性質を持っている、という世界。本体が男で影が女。一人なのに二人。そんないびつな関係に嫌気が差した男が取った行動は……。

小山さんにしても史群さんにしても、ネット発の漫画家が描く作品は、その人自身の思想や体験を色濃く反映している。その濃度が高ければ高いほど、中毒性をもって広く伝染していくのではないだろうか。

史群作品には、「怪物父さん」でいえば「人と怪物」、「しかばね」でいえば「人と影」といった具合に、主人公とされる人物とそのパートナーの間に越えられない壁が存在し、その壁を越えようとするための象徴として「愛」を描くものが多い。

このように、登場人物とそのパートナーはそれぞれの置かれる環境に悩み、葛藤し続けているのだが、このノスタルジックな画風が彼らのやるせなさや葛藤をくっきりと浮かび上がらる不思議な魅力がある。

「怪物父さん」のストーリーを読んで、ディズニーの「美女と野獣」を思い浮かべる人がいるかもしれない。しかし、「怪物父さん」のストーリーを最後まで読み込めば、真実の愛が人を幸せにすることを伝える「美女と野獣」とは似て非なるメッセージが描かれているのが分かる。同じ愛を描いても、史群さんは報われない愛を描くことが多い。

彼女が昨年発表した作品集『今日の漫画』に登場する1ページ漫画の中にも、「人とうさぎの愛」や「飼い主と飼い犬の愛」など、人と動物の関係性の中に「異性に対する愛」を練り込むことで、なんだかとても見ていられなくなるのだ。

 こうした複雑な関係を描くものだから、少々難解な物語もある。1ページ漫画から始まり、今回の『臆病の穴』では短編で、このフォーマットこそが永島慎二などの「昭和漫画」の代表的な形式である。

そして、20ページ程度の短編で、永島慎二も史群アル仙もほとんど結末を描かない。これからどうなるかを読者の知性に任せるのだ。「わかりやすさ」を過剰に求めた現在の漫画から失われてしまった、物語の余白のようなもの、読者が自由に想像で補える部分が史群アル仙の作品には確実に「昭和漫画」から受け継がれている。

もう一つのこの短篇集の特徴は、1対1の関係性のなかで、主人公が自分の感情や意思を相手に伝えることの難しさを描いていることだ。「すべての言葉はさよなら」と歌ったのはフリッパーズ・ギターだけれども、この漫画も「言葉で伝えきれない思い」と「伝わらないことによる孤独」を一貫して描いている。

史群アル仙が紡ぐ、絶望や哀しみの先に見えるかすかな希望の光

お会いしたこともない僕が言うのも失礼だが、史群アル仙はきっとひねくれ者で不器用な漫画家なのだろう。

過去に引きこもりになり、一時的に一般社会と自身との間に壁を作ってしまった時期があったそうだ。その時に感じた社会との断絶や自身の葛藤を作品として形にすることで、改めて社会と繋がろうとしているのではないか。

「怪物父さん」には、続編がある。ちひろが高校の入学式の日に、「絶対に来ないで」と言われた父。しかしながら、突然の雨に父は傘を持って校門まで来てしまう。そんな父のことを同級生にバケモノと言われ、ちひろは父にひどい言葉を浴びせてしまった。

その時、一瞬ではあるが父からの愛を失ったちひろは 自身も怪物になってしまい、父を追いかける途中でトラックと衝突事故を起こす。それを救ったのは父であり、その行為を通して父は人間に戻った。それから父は、怪物になってしまったちひろに目いっぱいの愛情を注ぎ続けたそうな。

史群アル仙の作品は全体的に暗く重たい哀しみの空気をまとっているが、その反面、愛されることに飢え、幸せを渇望している人間を描いている。それはきっと、彼女自身が「愛や幸せ」を本当に求めているからなのかも知れない。