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現代が求める創作の質を追求し続ける『とんがり帽子のアトリエ』

どれだけの物語を血肉にすれば、どれだけの人間の営みと文明を愛せば、これほどまでの「物語」を紡げるのか。

一コマ一コマに、尋常ではない厚みの学びと思索と愛が注ぎ込まれていて、ため息が止まらない。

コマの使い方の発想力の非凡さはもちろん、それ以上にこの『とんがり帽子のアトリエ』(白浜 鴎)、描かれていない部分の作り込みが半端じゃない。

漫画に芥川賞と直木賞があったなら、それこそダブル受賞してもなお余りある才能。柳本光晴氏の漫画『響』では描かれない劇中小説「御伽の庭」、これを漫画化したら、『とんがり帽子のアトリエ』のような作品になるのではないか。

非言語の“想像力”という世界から実体を得た、有限の“表現”という枠組みの中で、世界と歴史が丸ごと作り込まれていると感じさせるその技量は、まるでアーシュラ・K・ル=グウィン氏の長編小説『オールウェイズ・カミングホーム』のようでもある。

世界にとってアーシュラ・K・ル=グウィン氏亡きいま、日本にとって(少なくとも現状は)宮崎駿氏不在のいま、次の時代に必要な“物語”の水準を示しているのは間違いなくこの作品だと、個人的には感じる。

登場人物同士の関係性の描写が本当に丁寧で、物語を紡ぐということに関して極めて誠実。

なぜ今この時代に、この物語でなければならないのか。

表現者としてのその問い立て、在り様が、登場人物たちの生活に関する些細な描写から、物語世界の理(ことわり)に至るまで、匂い立ってくる。

「魔法」も「魔道具」も、物語世界の理の中にあり、日々の“営み”の中に根付いていて、単なる“設定”にとどまっていない。

些細な一コマの描写一つとっても、その背景には、古今東西のファンタジーや建築学、民俗学などへの造詣が深いことが伺われる。

かといって、巷によくある意図的な“設定”に満たされた世界などではなく、ただただ、「膨大かつ広大な物語世界からくりぬかれた」としか表現できない世界そのものがそこには広がっている。

どこにフォーカスしても一つの学問体系が生まれてくるかのような、自由で、豊潤な世界。

海外もののファンタジー小説好きからすれば、それこそ魔法好きの主人公「ココ」のように悶絶ものだ。

思わず超豪華本を購入し、購入したことを忘れた頃にそれが届いて驚き、金額に慄きつつ、それでも宝箱を開けるように1枚ずつページをめくって、ひたすら感嘆のため息をつきながら愛でてしまう。

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連載開始時の第一話から、「なんだこれは……」と鳥肌がとまらなかったその将来性を、毎巻軽々と飛び超えて、神話や伝説とすら錯覚しかねないほどの力を携えたこの“物語”は、少なくとも漫画やアニメの世界において、今後「『とんがり帽子』の前と後」という文脈の中で語られることになるのではないか。

おそらく私が感じている方向性すら超えていくのだろう。
そんな着地点が想像もつかない大傑作になるのではないかという予感に、寒気すらする。

このクオリティのものを連載ペースで刊行し続けているというのは、本当に信じがたい。

まさに脱帽。

WRITTEN by 小野田 峻

※「マンガ新聞」に掲載されていたレビューを転載
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