見出し画像

25年後のカンチとリカの姿『東京ラブストーリーAfter25years』

恋愛をするってこと自体が、コロナと共存する世界では希少な経験になるのかもしれない。最近よく見ている「恋愛ドラマ」に不思議な懐かしさを感じる。いままで、恋愛ドラマを観る習慣がなかったけど、携帯電話のない時代の、恋人たちのアンソーシャルディスタンスを楽しんでいる。

2020年5月から再放送された『愛してると言ってくれ』を見て、勢いでアマプラにある1991年放送のドラマ『東京ラブストーリー』まで楽しんだ。『東京ラブストーリー』が放送された1991年は携帯が普及していない時代だから、シーンを細かく割る必要がない。物理的に会えないことにもリアリティがある。だから出来事を描くスピードがゆっくりでじれったい。そういうのが新鮮に感じる。

そしてこの『東京ラブストーリー』には続きがある。

原作では、リカが会社の上司の和賀(わが)さんの子供を妊娠して完治(かんち)から離れていくところで終わる。一方で、ドラマしか観てない人は、リカが、さとみと結婚した完治と出会いながら、身を引き、なぜか建て替え前の茶色の日本青年館で黄昏れる場面で終わったことを憶えているだろう。

柴門ふみさんの「あとがき」によれば『東京ラブストーリーAfter25years』とタイトルされたこの作品のテーマは

若い頃、恋愛関係にあったふたりが中高年となった時にその関係性はどうなっているのか? 

『東京ラブストーリーAfter25years』(柴門ふみ/小学館)あとがきより引用

である。

原作は女性の自由がテーマのパイオニア的な作品だった

恋愛ドラマは「くっつくか離れるか」の結論が出た時点でストーリーが終わることがほとんどだが、『東京ラブストーリー』の原作は、女性がどれだけ自由に生きることができるか、それでも会社や結婚や家族という制度と共存できるのかというテーマがあった。原作のリカはものすごく男性を振り回す、「自由」を限界まで拡大しようとするパイオニア的なキャラクターだった。

一方ドラマでは、リカは完治のことを思いやることができる「いい人」になってしまった。だから物語を成立させるために、さとみを「弱さ」ゆえに完治を振り回すキャラクターにしてしまって、まるで別物になってしまった。ドラマでは原作のリカの「自由」へのエッジみたいなものが消えてしまっているのだが、それが大ヒットの要因のひとつだとも思われ、そういう大人の事情はプロデューサーだった大多亮さんの本を読みながら推察するのが楽しいと思う。

束縛の連続である社会、その中での自由

自由とは人工の概念で、何かに束縛される現実のアンチテーゼとして生まれたものだ。実際の人間は、学校を出て、社会人になり、結婚して、家庭を持ち、子供が生まれ、自由を失っていく。「自由」を失いながら、そういう社会の複雑さに自分の人生を投入していく、完治とリカの25年後を確かめてみるのもいいかもしれない。

自由とは選択肢の多さのことであり、それは選択するたびに狭まっていくということを実感させられる物語だと思う。

そういえば『Tokyo Love Story(東京ラブストーリー)』という、より原作に近いドラマも今年作られたようなので、1991年版との違いを楽しむのもいい。

WRITTEN by 角野 信彦
※東京マンガレビュアーズのTwitterはコチラ