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愛情の「総量」と「種類」について

・友だちに対する愛と、恋人に対する愛を、「与える量」でしか区別できない。
量が変われば必然的に質も変わるのかもしれないけれど、それは結果の話。

・人に与えられる愛の総量を100として考えたとき、
恋人に70、友だちに30を振り分ける感覚。
恋人が居なければ、友だちに100を分けられる。
(恋人を作らない方が良いと思っていた理由のひとつ)

・恋人ひとりに70を渡すせいで、それの見返りを求めてしまう。
与える量を調整できれば、返ってくるものが(自分にとって)30でも10でも良いのに。

↑ここまでが少し前のわたし↑

・結局、「恋人」とか「友だち」という話でなく、「相手」なのだと思う。何かを渡すときには、「この子は何がうれしいか」を考えるものだから。
極端な話、相手が喜ぶ&受け入れてもらえるなら、友だちだとしても誕生日にディズニーチケットをプレゼントするくらいするだろうし。
(だから、友だちに「彼氏みたい」って言われるのかもしれん)

↑これが最近気がついたこと↑

⇛なぜ気がついたか

🦁くんに教えてもらった、「コップ理論」の話がきっかけ。

・わたしが見返りを求めてしまうのは、コップの水が満たされていないから。

・愛情の種類が同じ=「恋人」と「友だち」のコップが同じ?
→もらった物をごちゃ混ぜにしていいのか(そもそもなっているのか)
→無意識的にコップを分けているのかもしれない。ひとりずつ。

・恋人と友だちは自分の中で少し別の軸で考えていて、だけど愛情の質は同じなのか? と頭のどこかで疑問だった。
「別軸で考える」=「コップがちがう」のかも、と気がついてスッキリした感じ。

☆デメリット☆
・わたしはそれぞれにコップを持っているから、そのコップの水が無くなったら相手に与えられなくなってしまう。
(他のコップから水を持ってくることができない)

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