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今は話題に出してはいけない幼少期の頃の母親とばあちゃんの存在

僕は小学校4年くらいから中学校3年生くらいまでほぼ母方のばあちゃんに育てられました。

なぜかというと、母は当時かなり精神異常者だったのかと言うくらい情緒不安定だった時期があっりました。実際ここ数年前でも酒が入ったりしたら家に母のお姉さんがきても喧嘩したり突き飛ばしたり、少し危なかしいところがありました。

今でもその原因はわからないが、これを見てわかる方が居ればそっと教えて頂きたいです。

昔から当時も親父は会社を自営で営んでいた為かなり忙しくしていて、今そういえば家族でどっか出かけるといった恒例行事みたいなものは小さい頃から無かったのかもしれないです。今気がつきました。それが普通だったのかもしれないですね。

それでいつの日からか母親が失踪する事が多くなりました、記憶を辿って話していますが、当時親が携帯を持ってましたが、親父とか家の電話には買い物に行ってくるとだけ毎回メッセージを残して、遅くまで帰ってこないなんてこともありました。確か一日中帰ってこないなんてこともあったか?今じゃ聞けないタブーのことなので、掘り下げることもできません。

当時親父の会社関係の夫婦で仲良かった人達も総勢で探し回ったなんて時もありました、

親父と僕は滝野公園という札幌の南区という勇逸ほぼ山、森だらけの区があり、よくそこに母さんが行ってたから、親父は足元も危ない険しい山奥とか探しにいってた記憶があります。

結局家には帰ってきましたが、帰ってきたと同時に包丁を持ち出して「殺して」とか泣きわめいて、電話とか叩いたりしていた記憶があります。

親父と仲が良かった夫婦の奥さんもよく知っていたので、泣いて、どうしたのと色々心配や声をかけてくれていました。

そして病名が本当にわからず、親父は病院を探し回りますが、札幌市内に見てもらえる病院は見つからずに本当に途方に暮れていました。

その時の母方の母さんの存在が大きかったのかもしれませんが、札幌市外の田舎の栗山町というところに赤十字病院があり、そこで母さんを見てくれるということに。

そしてそのタイミングでオホーツクの紋別に住んでいた母方のばあちゃんが隣に引っ越し、僕たちの面倒をみることになりました。

あ、家族僕以外はオホーツクの紋別生まれです。

長くなるのでまた次回お話しします、見て頂きありがとうございました。

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