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生物と無生物のあいだ / 福岡 伸一

「生命とは何か?それは自己複製するシステムである。そして生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである。」

遠浅の海辺。ちょうど波が寄せてはかえす接線ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造を持つ城がある。波は城壁の砂粒を奪い去り、海風は絶え間なく表面の乾いた砂を削り取っていく。ところが奇妙なことに、時間が経過しても城は姿を変えてはいない。同じ形を保ったままじっとそこにある。正確に言えば、姿を変えていないように見えるだけなのだ。

実は眼には見えない小さな海の精霊たちが、たゆまずそして休むことなく、削れた壁に新しい砂を積み、空いた穴を埋め、崩れた場所を直しているのである。海の精霊たちは、むしろ波や風の先回りをして、壊れそうな場所をあえて壊し、修復と補強を率先して行なっている。それゆえに数時間後、おそらく何日かあとでもなおこの城はここに存在していることだろう。

さらに重要なことに、今この城の内部には、数日前、同じ城を形作っていた砂粒はたった一つとして留まっていない。砂粒はすっかり入れ替わっており、砂粒の流れは今も動き続けている。つまり、ここにあるのは実態としての城ではなく、流れが作り出した「効果」としてそこにあるように見えているだけの動的な何かなのだ。

これはもちろん比喩であり、生命というもののありようがわかりやすく正確に記述されています。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。流れが流れつつも一種のバランスを持った系を保ちうるための「柔らかな」相補性。

ゆらぎのある自分を肯定したい、というのは前回も書いたことですが、私の体の中はこんなにもダイナミックに流れながら変化していて、分子のレベルではすっかり入れ替わってしまっているのだから、「不変の自分」を信じるなんてばかばかしいとも思えます。

ロックフェラー大学における野口英世の評価は日本のそれとは全く異なること、DNAの二重らせん構造を提唱したワトソンとクリックの栄光の影に存在した何人ものアンサング・ヒーローたち…(”ダークレディー”と呼ばれたロザリンド・フランクリン!)ミステリーを読むように引き込まれ、生物学の書ということを忘れてどきどきしながらページをめくっていくので、突然「ノックアウト実験」の方法なんかをかなり詳しく説明されたりしても、驚きながらも不思議とすんなり読めてしまう。(もちろんほとんど理解できていないのですが…)
知ることにひたすらにわくわくしていた幼い頃を思い出しました。

私の体はこんなにもダイナミックでロマンチックに絶えず生まれ変わっているのだから負けてられないなあ。まだまだわくわくしていきましょう。

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