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僕の彼女は障害者#2 8

▼彼女の障害プロフィール
専門学校卒業|5年間正社員で働く|
鬱病|適応障害|発症|
軽度の知的障害認定|
境界性パーソナリティ障害|
精神保険福祉手帳取得|
幼少期は父親のDV体験|

落ち着いてきた生活

日中活動にジムが入ったことで彼女の生活リズムも安定してきた感じがある。
月曜日:自宅でリラックス
火曜日:デイケア
水曜日:ジム
木曜日:デイケア
金曜日:デイケア
土曜日:通院とジム
日曜日:買い物+お出かけかジム
このスケジュールが最近の形。
先週も大きなトラブルはなくて、一度だけ僕がエスケープするような出来事があっただけだった。
彼女自身も自己分析や自己理解が進んできている。
やっとここまでたどり着いた。
一人で行動することもできてきた。
僕の方のにも軽くなってきた。
良かった。
本当に良かった。

献身的なサポートとは

ここまでくるのに2年近くかかった。
先の見えない治療のサポート。
そもそも暴れたり、頻繁に泣くなど”癇癪”の原因はなんだったのか。
そんな、状態の理解からのスタートで
献身的なサポートができていたかは自分では分からない。
しかし、彼女に僕の存在がなかったら多分自殺していたと思う。
これは、彼女や医療の人も同じ意見だった。
その命を繋ぎ止められたものの一つが”献身的なサポート”なんだろうと思う。

献身的なサポート、抽象的な言葉だ。
具体的に落とし込むとこんな行動を僕はとってきた。

とにかく「常に近くにいること」
何か不安があれば「聞く」「落ち着くまでそばにいる」
暴れて物を壊せば「片付けをする」「深夜でも付き添う」「寝るまで見届ける」
調子が悪ければ「食事を口に運ぶ」「服の着脱を手伝う」「入浴」の介護をする

とにかく近い人間が目を離さずにSOSに気づき対処することが大事だと振り返る。

犠牲にしたもの

僕は彼女のサポートのために犠牲にした物もある。
仕事では管理職を辞退して一旦休職もした。
復職後もいつ休む事になるか分からないので、同じ立場ではなく負担の少ない部署に異動させてもらった。ただ彼女が障害を隠したいと当初は言っていたので、この状態を会社に説明するのにはかなり苦労した。
友人とも疎遠になってしまった。
誘いを度々キャンセルしていたので、お誘いも来なくなってしまった。
(これから障害の事を説明しなければ)

失ったものは沢山ある。
一朝一夕で戻るものではない。
では、後悔しているかといったら全くそんな事はない。
失うものはあったが、得たものもある。
(言ってる事月並みだけれど)
このサポートの体験はお金を払って実際に経験出来るものではない。
この経験で僕の人生観が大きく変わったし、精神障害者のサポートの実際を体験した、これからも続けていくことは大きな財産だ。
何より、本当にサポートする人が大変だと分かった。
(大変なんて簡単な言葉では表現しきれない)
(仕事の時は”資源を上手く使って”なんて言ってごめんなさい)
後悔はしていない。

おわりに

これからもサポート日記は続けていきます。
そしてこの経験を発信することが当事者の力になれば嬉しいです。
そして、苦しんでいる人たちがいることを世の中に知ってもらいたい。
そんな、制度の狭間で苦しんでいる人たちを助けたい。
そんな気持ちを強く胸に秘めて、今回は終わりとさせて頂きます。

ありがとうございました。

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