オススメ! <企画展>みんなの小学校 150年のあゆみ@松江市立松江歴史館 9/24までなのでダッシュ!
※このnote記事は展示内容の一部を文章で紹介していますので、ネタバレが嫌な方はこの記事の閲覧をお控えください。
令和5年は、学制が制定されて小学校が開校してから150年の記念の年。
市内の小学校の多くが「創立150年記念」ののぼりを掲げています。
この企画展は、明治の初めから現在までの小学校のあゆみを、とっても貴重な資料や写真の展示により余す所なく知ることができます。
これが本当に興味深い。
以下は私が興味を持ったことのメモ(展示全体のほんの一部です)
・明治12年の教育令のもとでは一年間の授業日数は277日(現在は200日程度)。夏休みは20日間、冬休みは13日間。進級・卒業の時や臨時に試験をして、結果を校内に掲示するだけでなく、学校代表児童が集まり集合試験をして学校間で競い合った。
・明治19年ごろの、今でいうところの「遠足」は当時は「運動会」と称されていて、往復30キロ程度歩くのがザラだったこと。
・明治20年に年度始まりが9月から現在のような4月に変わったこと。
・明治21年の島根県の先生方の研究会で協議されたことが、子どもや教師の出雲弁の訛りが問題視され矯正のための解説書まで出されたこと。
・明治27年の松江市の小学校の修学旅行は、徒歩で10泊11日かけて広島に行くというおっそろしいものだったこと。
・明治34年に今のような3学期制になったこと。
・大正14年から教科書が尺貫法からメートル法に変わったこと。その当時の教科書には「富士山ノ高サハ3778.4米アル。コレハ何尺カ、又何町何間何尺カ。」とあって、あれれ測量ミス?自然の変化?
・この後太平洋戦争の辛い時期を経て、、、
・昭和22年に宍道小学校に特殊学級(病弱・身体虚弱)が戦後島根県で最初にできる。
・昭和24年に学習帳「夏休みの友」が教職員組合により作られる。平成7年まで刊行された。
・昭和34年に小学校の1クラスの人数が60人から50人以下に引き下げられる。昭和39年に45人以下になる。昭和55年に40人以下になる。以下略。
・昭和62年頃から学校に鳥小屋などの飼育小屋が設けられるようになる。どうりで私の世代はその恩恵で鳥小屋掃除当番あったわけだ。
また戦後からこの間、土曜半日から完全週休2日制、給食の導入、制服ができまた自由服になることや、スクールカウンセラーの配置、生活科導入やゆとり教育、パソコン室の設置から今のGIGA端末まで、もうどの展示資料も解説も興味深すぎました。
松江市出身者でなくともとても学びが深い展示です。
実は行ったのは2回目で、前回は家族と一緒だったのであまりゆっくり見れなかったのですが、今回は一人で来たので3時間かけてじっくり見ました。
あまりにゆっくり回りすぎていたので気にされたのか企画に携わられた学芸員さんから声をかけていただき、いろいろ展示にない興味深い話まで聞かせていただきました。
自分は過去にとらわれず今とこれからを考えることが大事だと思ってきましたがそれはちょっと浅はかな考えで、実はこうした昔の取り組みがあってこそだったことを痛感しています。
まさに「温故知新」。
そしてGIGA端末整備や生成AIの出現の今を重大な教育の転換期と思っているけどそれも数年後には通過点。
この企画展、本当に素晴らしすぎて、もう1回行くと思います。
買った図録を繰り返し見ています。
併設する喫茶室の和菓子スイーツたちも、どれも良きです。
これは抹茶パフェ。
次は抹茶シフォンを食べに行きたい。
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