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ユーリイ・コンドラチュクって誰?

アポロ計画で月に行って帰ってくる方法、
今では当たり前だけど天文学や科学に興味ない人は

おそらく直線的に往復したのだろうと
思っているのではないでしょうか。

恥ずかしながら小生も行って帰ってきたと
言われて東京大阪間の新幹線のように
一直線で帰ってきたものと思っていました。

(東京大阪間は実際には曲がっているという
ツッコミはなしです。

そういう重箱の隅をつつくようなことを言うと
測地線の話もしなくてはいけなくなりますから、

ここでは一本線であることを強調するための
比喩ととらえてください)。

一直線でないことを知ったのは
確か映画アポロ13だったと思います。

しかも、その時点では事故さえなければ
一直線で帰還できるはずなのに、
残りの燃料のことなどを総合的に判断して

月の重力を利用した方が効率的という意味で
周回軌道で帰還させるようにしたのかと思っていました。

いわゆる急がば回れ方式が
採用されたのだなと思いました。

しかし、そもそも人間を安全に月まで
行って帰ってくるのにNASAの優秀な頭脳を
持っている人たちが悩んでいただなんて知りませんでした。

さらにその航行軌道を考えたのは、
どうせやっぱりNASAの天才たちでしょ
と思っていましたが、

それが裏切られたことの方が大きな驚きでした。
そう、このユーリイ・コンドラチュクさんが
自費出版した本の中に書いていた方式だったのです。

このことをナショナルジオグラフィックの
COSMOSで知りました。

COSMOS!そう、知る人ぞ知る、
あのカール・セーガン博士のCOSMOSの最新版です。

セーガン博士のCOSMOSに影響を受けた
少年少女も多かったはずです。

実際、影響を受けた少年少女の中には
科学者や技術者、宇宙飛行士などに
なった人も多数いるとか。

今回のナショジオのCOSMOSも
セーガン博士のCOSMOSに影響を受けて
天体物理学者に成った

ニール・ドグラース・タイソン博士が
MCをやっています。

そこで語られたのが
コンドラチュク氏の話だったのです。

彼の人生は、はっきり言って不幸で
コンドラチュクという名前も偽名です。
すみません元の名前忘れました。

とにかく偽名で生きていかなければならない
くらい不幸だったのです。

最後は戦争に出兵して行方不明で死亡扱い
ということですから救いようがありません。

そんな彼は数学、物理学に才能があったようで
不幸の星のもとに生まれていなければ、
おそらく世界的な科学者になっていたことでしょう。

そんな彼が夢見たのが
月へ行って帰ってくることであり、
星間旅行でした。

もちろんその程度のことなら
一般ピープルでも想像できるのですが、

彼がすごいのは物理的、数学的に思考して
現実的に可能な方法を記したということです。

結局NASAは手詰まりだった月への
往復方法やアイデア、マインドセットに
至るまで彼の著書から得るのです。

スイングバイも星間旅行として
彼のアイデアの採用というのですから、

繰り返しになりますが、
もー絶対NASAの科学者が考えたものだと
思っていましたので驚愕の事実でした。

さて、この事実から何を言いたいのかというと、
レベルの高い記録は取っておくべき、残しておくべき、
世の中に発表、発信しておくべきであるということです。

なぜなら、今は誰からも相手にされず、
見向きもされない記事であっても、

100年後200年後あるいは
それ以降の人類にとって有益な情報となって
再評価される可能性があるからです。

同様な例は多数あり
二宮忠八の玉虫型飛行器もその一つです。

だから、こんなお粗末な記事でも
100年後、1000年後に読み返されて
利用してもらえたらいいなと思って書いています。

これも私の生きた証の一つです。

最後に、この記事を読んだ人へのメッセージです。
100年後、1000年後の人類のために、
あなたが生きた証を残しましょう。


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