まさか、自分が卒論を書くとは思いもしませんでした。
(1年生の年末年始の帰省の時に、姉が卒論を書いていて、”絶対卒論やらん”と言ったのを覚えています。)
せっかく、卒論を書いたので、感想などを記そうと思います。
メモも残っているし、忘れないうちに。
計画
コロナの影響を受けまくりました。
最終的に行った実験は、3つ目の研究計画でした。
”先行研究を読んで、明らかになっている・明らかになっていないことをおさえて、目的を決めて、仮説を立てて、その研究の意義を明確にする!”
という作業は、単純ですが、大変でした。
(それを3回やったのさ。hahaha(笑))
終わってから感じたことは、目的・リサーチクエスチョンを出来る限り深掘りしておくことが、重要だということです。
実験結果を分析したり、統計をかけたりするときに、迷ってしまったので、”悩んだ時のリサーチクエスチョン!”は、非常に重要だと思いました。
準備
実験は、中々思うようにいかないものでした。
新たな問題や課題が次々に出てきました。
でも、それが実験や研究をより良いものにしたのかもしれません。
自分の場合、先行研究を読み込めない中、内容が詰め切れず、9月にやり始めて少し後悔はあります。
”準備で全てが決まる!”という言葉がありますが、まさにその通りだと思いました。
準備は早めに行えば、たくさん実験の練習ができるので、後輩ちゃんには、”早めに取り掛かった方がいいよ!”と、声をかけております。
実行
まず、協力者と被験者の方々、本当にありがとうございました。
協力者と被験者がいないと、実験は成り立たないので、感謝の気持ちでいっぱいです。
あと、自分が他人から信頼されていないと、実験に協力してもらえなかったでしょう。
普段から、周りの方々から信頼を得られるような行動・言動が出来るようにしないといけないですね。
執筆
頭の中に浮かんだ考えを文字に起こすのは、意外と難しかったです。
好き・嫌い、得意・不得意は人それぞれですが、自分の場合は大の苦手だったようです。
なので、自分で学んだ知識を話し言葉でも書き言葉でもどちらでもいいので、普段から目に見える形することは、非常に役立つでしょう。
(ディスカッションやSNSで発信することは、良いことですね。ただ、SNSで発信する時は、誰にみられているかわからないので、注意しましょう。)
背景や考察を書くときに、普段から論文のメモを取っておいてわかるようにしておくと効率が向上すると思いました。
(最近、実践中です。)
発表
研究は、他人に知ってもらわなければいけないことだと思います。
発表しないと、ただの自己満になってしまいます。
自分の場合は、協力者・被験者が発表を聞いていたので、協力していただいたことに対する価値を与えることが出来たと思います。
決められた時間内で、自分の論文の内容をすべて伝えることは、不可能に近いでしょう。
何が言いたいことか、いわゆる、自分の主張を明確にすべきだと思いました。
”悩んだ時は、リサーチクエスチョン!”に戻りましょう。
また、文字面だけの発表は非常にわかりづらいです。
発表も場数がものをいうものですが、写真や絵、図を取り入れましょう。
(てか、このnoteは文字だけやん!)
かまないように、発表の練習も行いましょう。
卒論を書く意義とは
大学生なら、卒論は書くべきだと思います。
必修の大学もありますが、必修ではない大学・学部もありますが、自分は必修にすべきだと思います。
(その分、教授の負担が増えそうですが。)
卒論は面倒くさいものでしょう。
でも、やりたいことや、やらなければならないことに、面倒くさいものはつきものです。
その中で卒論のメリットはたくさんあると思います。
正解のないことに対して、考えて実行する、トライ&エラーを繰り返すことで、新たなことを知ることが出来ます。
メンタルは強くなるでしょう、タフさも身に付くでしょう。
(ただ、このことは、卒論に取り掛かる第一の目的にすべきではないです。)
要は、捉えようです。
前向きに物事を捉えることが出来る人は、是非行うべきです。
あとは、専門知識が身に付きます。
自分はスクワットに関する実験を行ったのですが、スクワットに関して知見は深まりました。
実験データと先行研究から、得られた知見はたくさんありました。
トレーナーとしての卒論・研究
自分の場合、トレーナーを目指しているので、卒論を行う意義は大いにあり、むしろ、やらないといけないと言っても良いと思います。
”臨床(現場活動)と研究”という言葉の両立がトレーナーには重要です。
”明らかになっている・明らかになっていないこと”が現場で活動していると生まれてきます。
また、正しいと認識していたことが、実は正しくないことや、その逆もあると思います。
これらを明らかにするのが、研究です。
研究をまとめたものが、論文です。
そう、論文は人の主観が入っていないので、客観的な事実なのです。
(主観が悪というわけではありません。客観的事実に基づいて論理的な思考ができることが重要であり、それを体現しているのが、論文だと思います。)
わざわざ研究をしなくても、適切に論文が解釈できるなら良しとして(研究したことがない人で、そんな人はいないに等しい。)、わざわざ大学に入学して卒論を書く機会があるならば、研究を行って卒論を書くことは、非常に意義があると自分は思います。
最後に
1年生の頃から、4年生の発表を毎年聞いていて、全く内容がわからない状態から、学年が上がるにつれて内容が理解できるようになりました。
特に、去年の発表を聞いて、4年生がかっこよく見えました。
思うことはたくさんありますが、無事に終わって良かったです。
次の目標にむかって頑張ります。
協力していただいた方々、一緒に頑張って卒論に取り組んだ方々、本当にありがとうございました。
p.s.
卒論発表会後に、写真を撮って、懇親会に参加することが楽しみでした。
どうしようもないですが、悔しいですね。
大学4年生の最後に必ず良いことがあると願って、今できることをしようと思います。
最後は笑顔で終わりたいですね。
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