大人は信じてくれないⅡ
「ハタチになること」について書こうと思っていたのだけれど、もう一回だけお付き合いください。
「大人になったらわかるよ」
この言葉が大嫌いだ。19にもなって言われる機会は減ったけれど、昨日言われて、すごく嫌な気持ちになった。
この言葉がどういうシチュエーションで言われるか考えると、「理不尽だと思ったことに対して反発したとき」が多いんじゃないかしら。そしてこちら側のことを子どもと見下しているっていうこともセットだ。
理不尽だと思うことって大事だと思う。それを飲み込むことによってフラストレーションは溜まっていくし、権威に対して何も言えなくなってしまう。
大人になったらわかることなんて、わかるようになりたくないし、そんなことがわかるなら大人になんてなりたくない。はっきりそう思った。
昨日バイトから帰ってきたら、自治体から成人式の案内が来ていて、どうしようもない気持ちになって涙が出てしまった。「未来ある皆さん」とか「夢が実現するときです」なんて、うわべだけの祝辞。不快にしかならなかった。未来なんて夢なんて、そんなに簡単には見つからないし、今はもう見失ってしまったし、こんな世界で何を夢見ればいいのだろう?
やっぱり大嫌いだ。綺麗事だけ吐いて、理不尽なことは飲み込ませて、そんな大人になりたくない。でも、きっと自分も同じようなことをいつか言ってしまうのだろう。それならずっと、こどもでいたい。