だれかの、必要火急

「不要不急」ということばがこの一年、どれだけ使われただろう。そして、その言葉に何度傷ついただろう。

もちろん、余計な外出をしないとか今じゃなくていいところには行かないとか、そういう意味だってことはわかっている。だけどこの漢字4文字が示す意味、含む意味は思いのほか大きい。

要するに、万人に通用することなんてないよねってことです。

わたしのバイトは業種柄、最初から最後まで不要不急といわれ続ける。人は集まるし、換気はできているけれど窓がないからわかりにくいし、音楽なんて、芸術なんて平時にしか見向きもされないということに気づいた。
確かに歴史的に見ても、元禄文化とかわかりやすいけれど争いがない時期にしか、文化は繁栄しない/できないのだろう。

「不要不急」という言葉の強さに苦しくなっていた去年の夏頃、

∵私たちは生きている
脅威を吸い込んでいま
本音と建前を一緒くたに
人生に保証はないもの
欲していたいよ万事を
恋い慕いたい
必要火急です
早よう捕まえさせて
いつも変わっていきたい
(東京事変「赤の同盟」)

この曲が発表された朝、あぁ、どれだけ不要不急といわれても、自分の中で必要火急と思っていてもいいんだ、とおもえた。世の中から必要とされなかろうと、仕事がどれだけなくなろうと、わたしにとって不要でも不急でもなければそれでいい。
なんだか、「みんなでがんばろう」とかそういう言葉に飲み込まれて、「自分」の好きなこと、大切なことを見失っていたのかもしれないと思った。

感染症を撃退するとか、災害から復興しようとするとき、価値感を同一にすることはもちろん大事で、効果的だ。衝撃的な言葉や聞きなれない言葉でひとを虜にする。言葉の持つ力って、発する当人が思っている以上に強かったり跡が残ったりする。
医療職に就いているひとのように今の状況に具体的に貢献できる訳ではない、わたしのような人間、たくさんのひと達が、それでもできることがあるし、しなくちゃいけないことがあるんだよということを言葉は教えてくれる。その事実だけを見て、言葉が裏に持つ力に飲み込まれてはいけないなと思った。

今月はバイトと大学の図書館と、スーパーにしか行っていなくて、流石に心が荒んできた。いくら電話やzoomで話せるとは言っても、ともだちに会いたいなぁ。