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9.九人の踊る淑女

 世に芸術は数あれど、その根底にあるものはひとつ、交流だ。

 つまり、コミュニケーションだよ。文学と絵画彫刻に関しては言うまでもない。声による直接的表現を使うまでもなく、楽器による感情の体現も素晴らしい。わたしはこの年になるまで機会を得なかったが、舞踊も奥深いと知ったところだ。

 音楽の介添えなくても動きそのもの、さらには踊り手のその体型に見るその経験と、あるいはそれを感じさせない技量。実を云うと解釈はまだ、受け売りが多いがね。もっともわたしの観劇の師は、詰まるところ肉体を誇示する芸術は、全てエロスとタナトスに帰依するなどと云うので、全幅の信頼を寄せている訳でもないんだが。

 それで君に聞きたいことと云うのが、九人の踊る淑女のことなのだ。

 どこかで聞いたことがあるだろうか。わたしはこれを、君の作品を読んでいて思い出したのだ。『飛ぶ鳥星かける夜空に爪を立てるが如く』だよ。だからもし知る人がいるとするならば、君しかあり得ないと思うのだ。

 わたしの記憶が正しいならばこうだ。

 九人のうら若き女性が、水の下で踊っている。いいや、水中ではない。昼か夜かは記憶が定かではないがまず間違いなく晴れていて、すると水面に空が映るだろう。水鏡だ。中に全く同じ、だが別の世界が誕生するんだ。そこにある舞妓衆なのだよ。

 伴奏はなしだ。あるいは少なくとも、描写はないも同然だったので覚えていない。舞姫たちにも衣装はなく、糸一筋纏わぬ裸婦だ。だが扇情的な動きではないのだよ。極めて端的に削り出された、ヒトの具現だ。

 おそらくは九つの感情を表しているのだろう。絶望、驚嘆、煩悶、失望、凶気……。喜怒哀楽? 君は何を云っているんだ。そんな単純なものか、人間が。

 とにかく、乙女が清閑に踊り狂う場面だよ。そういう作品に、心当たりがないだろうか。本なのか映像なのかすら思い出せないのだが、どうしてもその先が気になるのだ。寂寞の眼窩から伸びる黒い糸の先に、結わえた鳥の名前だよ。なぜこの先だけを忘れてしまったのか、それさえもわからないのだ。

 あるいはこれは、仮想文学に遊ぶわたしの頭にしか、存在しない作品なのだろうか。だがわたしはこれまで、ここまで鮮明な妄想を作り出したことがない。あるはずなのだ、この世のどこかに。麗しの乙女踊る物語が。

 今すぐに心当たりがないのなら、いっそ何も言わないでくれ。いや、できることなら一秒でも早く知りたい。だがそれと断ずるまでは、期待を維持していたいのだ。女々しいと笑ってくれたまえ。このような知的欲求の末、落胆が待っているのだとしたら、わたしはいったいどうなってしまうのか。それが自分でも、予想に易しくないのだよ。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。