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24.ノッティングヒル イミグレーション

 母には姉が一人いて、二人の下には異父妹がいる。
 そう珍しい話ではない。貧困に妻と娘二人を母国に残して出稼ぎに行った父が、帰らなかっただけのことだ。それでその妻、つまり私の祖母は再婚し、新しい夫と末娘を持った。
 でも物語ではないので三姉妹の仲は良好だったし、継父も成さぬ娘二人を可愛がった。だから事情に詳しくない知人などは、祖父が母の実の父親でないことを知らない。僕もかなり大きくなるまで事実を把握していなかった。でもそれは単に、彼らが血の繋がりにこだわりがなく、家族であることが当たり前だったので、説明するのを忘れていただけに過ぎない。
 二年前に、生物学上の祖父が他界したと連絡があった。
 彼は現地に新しく家庭を築いていたが、生涯、特に経済的にも余裕ができた人生の後半において、捨てた妻子のことをずっと気に病んでいたらしい。死因は悪性腫瘍、つまり癌だった。彼の余命が、財産を管理するに十分な時間だったことが、僕達にとっての不幸だった。
 父親は母と伯母に、遺産を残していったのだ。
 同じく元妻にもその話はもたらされたが、祖母は詳細を聞く素振りすら見せず権利を放棄した。僕の母もそれに続こうとしたのだが、姉である伯母がそれを許さなかった。
 当時すでに物心がついていた伯母は、密やかに実の父を憎悪していたのだ。
 そしてその厭忌の連鎖するところ、関係する全て、ことに現地の家庭に対して有益なこと、一切が我慢ならないらしい。放棄した分が残りの者へ分散されると明記されていただけに、頑なに相続を諦めなかった。
 彼女は普段は控えめで愛情深く、子どもがいないこともあって僕やいとこたちを可愛がってくれていたので、この対応には親族一同が、少なからず狼狽えた。
 正直、遺産といっても伯母にとっては端金でしかない。法律上の必要事項、故人からの条件などを病弱な伯母が老骨に鞭を打ってまで、満たす労力に見合わない。固執はつまり、彼女の怒りがそれだけ強いことを表していた。
 でも僕は、それが少し理解できる気がする。そして、父親の記憶がない母や、確執とは関係のない叔母が、焦燥にやつれていく姉を純粋に心配する気持ちも。アプローチが違うだけで、誰もがそれを解決して、楽になりたいだけなのだ。
 ちょうどその時、僕はある事情から停職していた。そして遠からず辞職するつもりだったので、時間があった。
 僕は伯母の代行を買って出る代わりに、彼女の計画していた無理ーーいくら時間がかかろうと、内縁であった相手から遺産全額を没収させるなどーーの一切を諦めさせた。
 それは誰も幸せにしない。弁護士の費用は嵩むし、伯母自身の苦しみが長引くだけだ。だから相続条件である数年間のイギリス滞在を引き受けることで、最初の遺産分を受け取るだけで満足することとし、できるだけ早く事態を解決させてほしいと、伯母に頼んだ。
 家族の誰もが、そこまでする必要は無いと言った。
 伯母本人ですら、最初はそう断ったのだ。でもその時の僕には、優先しても成すべきことだった。そして母からの近況を聞く限り、平穏を取り戻しつつある伯母に対しても、良かったように思う。
 遺産相続の条件に、色々細かいことは別にして、永住権を獲得するためイギリスに五年間滞在する、というものがあった。
 変な話だけれど、「永住権を獲得する権利」が求められているのであって、実際に将来国籍を変える必要はないのだそうだ。ただし、滞在は必須だった。そうする以外に、公的な意思表示ができる方法がないと言うのだ。
 しかしながら実際には、五年を待たずに帰れるかもしれないらしい。
 法律に詳しくないので確かではないが、この程度の条件なら、意義を申し立て覆すことは、時間がかかるにせよ、大体においては可能であるらしいのだ。弁護士から聞きかじった話では、どうもそれを承知でつけられた項目のようだった。「父親」は娘たちに、少しの間でも、自分の人生に加入して欲しかったのだろうか。
 事実、住居は彼の遺産の中から選ばされた。
 それは絶対ではなかった上に、途中で引っ越すのも禁止されていなかったので、何も考えずにロンドン内のテラスハウスにした。
 家賃と生活費は支給されるという話だったし、その後仕事を探すなら、都会にいた方が楽だと考えたからだ。実際には一年を過ぎて、まだ仕事には戻っていないが。
 一応言い訳をしておくなら、この条件が高齢近い娘たちへのものであったため、就職は視野に入っていなかったからだ。通常、日本から英国への移民なら、就業ビザを取る問題はほとんどない。だが無職を前提にして用意された滞在を期間中、変更するとなるとちょっと勝手が変わる。必要項目や内容が役人によって異なるのはよくある事だとしても、変更届を(このデジタル時代に)郵送してもらい、また封書にして送って、届かなかったらそこで終わり、と万事こんな調子で、時間がかかってしまったのだ。
 ここは国際都市ではあるが、保守的な部分が残る国でもある。
 ノッティングヒルと聞けば、誰でも知っている有名な地区だ。だからこそ伝統を守ろうと、刹那を通り過ぎる観光客以外には、余所者を排除する傾向がある。地方ほどではないにしても、都市内にもはっきりと差別は残っているのだ。
 特にこの辺は商業区ではない。昔からある長屋状のテラスハウスが並ぶので、人の動きが少なく、特に排他的だった。
 チェーンのスーパーすら近くになく、意外なほどよそ者が目に付きやすい。隣人たちは遠巻きに噂をするだけ、こちらも言語や習慣に慣れておらず、お互いに歩み寄る接点がないので、未だに近所付き合いの一つもない。
 強制された隠遁生活は精神にくる。
 イギリス人は冷たいと決めつけ、外に出ないくせに攻撃的な批評へ走りがちになった。自分から進んで来ておいて、伯母を恨みそうにすらなった。元々内に溜めるタイプではあるけれど、これだけ欲求不満をこじらせたのは初めてだ。
 これらの負の意識を助長させたのは、何より後妻の訪問が大きかった。
 最初の半年の話だ。
 初対面で弁護士に連れられて来たときは関係者を紹介すると言う形で、いっそ淑やかな様子だった。二度目からは一人、早朝に深夜に突然やってきて、外から怒鳴り散らした。何日かおきにやってきては、相続放棄を強要するのだ。直接的な強い口調は、命令にしか聞こえなかった。
 彼女からすれば、訪問ではなく、強襲のつもりだったのかもしれない。僕は彼女を書面でのみ知っていて、最初の頃はどちらかというと同情に近い感情を抱いていた。けれど彼女には、僕は財産を搔っ攫う泥棒の一味なのだ。僕自身は何を得るわけではないけれど、そんなこと彼女の知ったことではない。亡夫が愛した、自分以外の誰かだ。
 嫌がらせが三ヶ月も続くもううんざりして、やっぱり伯母をけしかけて全財産を没収させてやろうかと思うまでになった。それくらい彼女は不躾だったし、また弁護士を通しての幾度とない忠告をも、無視する無遠慮さがあった。
 結局法的な接触禁止を出してもらい、違反すれば罰金刑と明言されて、やっとそれは終結した。が、未だに時々やってくる無署名の、汚れたチラシや新聞が詰め込まれた手紙をポストに見つけると、じわじわと毒が滲む思いに囚われる。インクの乗らない、けれど古風な執念の形。
 後から思えば思い詰めすぎて笑えるけれど、当時の僕は人間不信気味で、社会復帰は不能だと頭を抱えて絶望の毎日を送っていた。

 初めは、リスだった。
 ロンドンには意外と、たくさんの野生動物が住んでいる。水路が多いのでその周囲に渡り鳥が、場所に関係なくゴミがあればカラスにかもめ、街路樹にはリスが、その枝の上をちょろちょろ忙しくしているのだ。
 僕の家はテラスハウスなので長屋同様、隣と壁一枚で繋がっているのだが、片方には小ぶりな雑木林が、半分朽ちた板塀の向こうに広がっている。反対側にある消防署の、裏庭なのだ。誰も通らない場所らしく、境界をカリンや柊が、反対側が見えないくらいに密に生えて、僕の生活に影を落としていた。
 が、それは単純に物理的な話だ。
 果物が収穫されずにあるのは、それを食べる動物たちにとってありがたい話だ。明け方も待たずに野鳥が押しかけ、リスが一日中そこで日向ぼっこをし、気が向いたら食べて、満腹になったら帰っていく。
 僕にとって、彼らを観察することは癒しにだった。
 夜にはキツネもくる。
 最初は野犬だと思っていたのだが、全員の尻尾が太く先が白いので、キツネなのだと気がついた。夜行性で、きっちり夜十時になると表通りをやってくる。
 それまで北の国にしかいない、なんか危ない寄生虫を持った獣であるイメージを持っていたのだけれど、関係してみれば彼らは案外人懐こい。それに賢くもあるようだ。少なくともこの辺では、ゴミ箱を漁って迷惑をかけ、駆除対策されるようなヘマをしない。
 この家は片面が隣の敷地に面した壁であるため、窓がよそよりも多めにある。
 もちろんカーテンは引いてあるのだが、野生動物の目からは室内の様子が丸見えも同然であるらしい。その時僕がどこに居ようが、的確に見える場所から僕に聞こえる声量で、控え目に餌の催促をするのだった。
 野良に餌をやるのはいけないことだが、近隣でそうしている家は少なくない。
 なぜそれがわかるかというと、数匹で連れ立ってやってくるキツネたちで、この庭に入ってくるのはいつも決まった一匹だけだからだ。表通りまでは一緒にやってきて、他は全部斜め前の家へ向かう。
 その一匹だけ虐められたり逆に庇護されたりしている様子はないが、小ぶりな体型なので幼体なのかもしれない。オレンジ色の街灯で定かではないが、他より赤っぽい毛皮を着ている。ひょっとしたら群れで弱い立場で、たくさん餌が貰える家に近寄ることが許されず、しょうがなくここに来ているのかとも思った。
 僕は赤毛の子キツネが可哀想になり、餌の内容には気を配った。
 十分の量を与えてやるため、わざと夕飯を残したりもした。何もない場合は、わざわざサンドイッチを作ってやった。美味しそうに食べてくれる姿を見ると、手間とは感じない。赤キツネは僕の、毎夜のシャペロンだった。
 時々、そいつが猫を連れてくることもある。
 ものすごく太った猫だ。僕はその種類に興味がないけれど、多分三毛猫じゃないかと考えている。茶色の斑が背中に二つ、尻尾は黒くて先が白い。後ろから見るとぶら下がっているモノがあるので、オスだと思う。
 食うのに困っているはずがない体型だが、キツネが友達を連れてきてもいいほど僕に信頼を寄せていてくれるのかと思えば嬉しく、つい歓待してしまう。実際、こいつが何でも良く食べる。本当に気持ちの良い食べっぷりで、気がついたら夜食のポテトチップスや、朝食の菓子パンまであげてしまった、ということが二度三度あった。
 そんなふうに過ぎる日々の、氷点下にもなろうかという、寒い夜のことだ。
 キツネも猫も、裏口の隙間から台所を覗いていた。
 いつもは側面の窓から、家脇のコンクリートへ餌を投げる。でも今日は夕方に降った雨のせいで床が濡れており、それにあまりにも風が冷たかった。なにか、温かなものをあげたくなるのが人情だろう。
 ちょっと待っていて、と言ったところで動物にわかるはずがないから、匂いが漏れていれば逃げないだろうと、僕はキッチン横のフランス窓を半開きにした。そこがいつもの定位置に近いものの、地階の大窓なので当然のように無骨な鉄格子がはまっていて、余計な不安を感じさせないか心配だった。
 だいぶ僕に慣れてきていた二匹は、果敢にもそこから僕の作業監修することにしたらしい。初めはガラス越しに、しばらくすると鼻先を突っ込んで、夕食が差し出されるのを待っていた。
 湯がいて塩を減らしたテリヤキチキンと、温めたハムサンドを小皿に乗せる。
 期待した顔で、キツネと猫が競うように室内に入り込んできた。僕はちょっと笑って、一歩後ろから、そっと食べ物を差し出す。餌に頭を突っ込む勢いで、まずキツネがてりやきに飛びついた。
 明るいところで見ると、二匹は少し薄汚れている。思ったよりオレンジに近い体色は目を引き、むっちりした猫と並べてみると、小ギツネは頼りない細さだった。
「子狐、こんこん、山の中」
 歌うように話しかける。子どものときに歌った童謡は一節のリズムと歌詞以外、僕の頭から忘れ去られて、それ以上出てこない。考えながら、手袋も一緒に上げようかと思った。それは違う絵本の話。
 キツネが弾かれたように顔を上げる。
「ひょっとして、ご同郷ですか?」
 問われ、どう返事をして良いのかわからなかった。
 僕はこれまで動物に話しかけられたことがなかったし、普通は動物は言葉がわからないものだし、それになんといってもここは英語圏で、日本語を聞くことがあると思っていなかった。
 黙ってキツネを凝視する僕に、チキンを平らげた猫が満腹のため息をつく。
「お兄さん、関東からかい?」
 低くて、艶のある良い声だった。
「え、いや、えっと。生まれは静岡です」
 つい膝をついてお辞儀をすると、キツネはあらあ、と嬉しそうに口角を上げた。犬が座ったのと同じ、しかし前足で口元を抑える仕草は、明らかに動物のそれではない。
「そうなんですかあ、わたしは長野です。親が荼枳尼天さまの眷属でして、名をあそびと申します」
「あたしは甚五です。眠り猫にちなんで貰った名前ですけど、出は横浜からでしてね」
 声で判断するに少女であるキツネと、深いバリトン声の猫は、代わる代わる自己紹介をした。
 僕は展開についていけなくなって、とりあえずそっと裏口のドアを締める。
 二匹とも何にも言わなかった。風があって寒かっただけだけれど、今になって思えば閉じ込めたと誤解されてもしょうがないが、後になって聞くと、仮に逃げ道を塞がれていたとしても、僕が相手ならどうとでもなると笑っていたから恐ろしい。
 でもその時は、特別険悪なムードではなかった。僕は「じゃあ、おにぎりもどうですか」と冷蔵庫から和食もどきを取り出し、望まれるままに温かいお茶を淹れて振舞った。三人、キッチン床の上での深夜のピクニックだ。
 聞けば、二人は移民として、僕よりも大先輩であるという。
 あそびが渡航したのは明治の初め、ある仏像が海を渡ったので、荼枳尼天さまの化身に仕えるためにそれに付き添い、流れ流れてイギリスにたどり着いた。彼女自身は本所で正式に役職をもらったわけではなく、あくまで御使い狐の親を手伝う妖狐という立場だという。
 だから暇になると、普通のキツネに混じって街の中を探索している。
 が、やっぱり話が合うのは同じ待遇に置かれた『移民仲間』だから、三毛猫の甚五とよくつるんでいるのだそうだ。
「別に年取っているからって、グループで立場が弱いわけじゃないんですけど」
 と付け加える。僕が思っていたのとは逆に、通常のキツネとしてはありえないほど高齢だから、話が合わないことはあるらしい。「流行りの音楽とか」。
 甚五は三毛猫のオスで、色々あって化け猫になった。
 それ以上は教えてくれなかった。でも根掘り葉掘り、初対面で聞き出すのは失礼だから、僕も聞かなかった。久しぶりの鮭おにぎりが気に入ったらしく、ぺろりと二つ平らげる。
 僕は初対面の人にはかなり身構えてしまうほうなのだけれど、二人には(二匹だから?)そんなこともなく、会話はとても楽しかった。そう伝えると、あそびはちょっと頬を染める。わたしも結構、そういう性質なんです、とのことだった。
「同郷なら誰にでもちょっかいかけたりするわけじゃ、ないんですけどね。見てたらちょっと心配だったから、きっかけがあったし、話しかけてみようかなって」 
 赤毛の前足が顔に近づき、僕の眉間、こめかみと左耳の後ろを小突く。僕はとっさに目を瞑った。吃驚したけれど仰け反ったりはせず、されるがままだった。話をしたのは初めてだけれど、長く同じ物を食べてきた仲間として、目の前の妖を自分でも意外なほど信頼していた。
 ぽとっと小さな何かが落ちる感触がして、膝の上をみると、くすんだ黄色のネズミが転がっている。
「わっ」
 驚いて弾くと、元々弱っていたその生き物は、床板の上を転がって、ちょっと手を痙攣させた。頭上から続けて、同じような暗色のネズミが転がり落ちる。どれもすでにこと切れている。僕は言葉も出ない。
「日本語で何ていうんだったかな。ま、毒みたいなもんでね。悪いものが身に溜まると、運も悪くなるから」
 甚五がぺろっと一匹飲み込んで、そう説明してくれた。たぶん、妖怪とか呪術とか、そういう類のものなのだろう。
 嘘とは露にも思わなかった。信じるしかあるまい。なんせ、見たこともない変な生き物が頭上に突然現れ、それを払ってくれた猫とキツネが、わかる言語を喋っているのだ。
「ひさしぶりに和食をいただきましたし、ちょっとしたお礼です」
 あそびの顔を見ていたら、じわじわと気分が軽くなるのを感じる。
 悪いものを頭から追い出したおかげか。あるいはそんなものはなく、アニマルカウンセリングの効果かもしれない。僕は一人でくすくす笑った。
 深夜の客たちは、それを見て嬉しそうにお茶を啜っている。

 物語の中ならば、恩返しをした動物は正体を知られたら二度と姿を表さない。
 だが、現実は違う。
 相変わらずあそびと甚五は、僕のところへ晩御飯を食べにやって来る。図々しくメニューのリクエストをしたり、世間話に時間を忘れ、あるいは面倒になって泊っていくこともある。神の眷属ではない、つまり定職のないあそびは、最近ではこの家に入り浸りだった。
 時々友達を連れてくるので、いつしか僕にも知り合いが大勢できた。どいつもこいつも、人間ではないけれど。
 僕はこれまでの人生で、一度も妖怪も幽霊も見たことがなかった。
 けれど、それは霊感がなかったからではないようだ。どいつもこいつも、揃って外遊に出て居ないのだから、日本で見かけるはずがなかったのだ。
「最近では妖怪であることくらいじゃ、驚かれなくなりましたからねえ」
 ろくろっ首なんて妖の大スターみたいなひとでもそういうのだから、世知辛い世の中になったものだ。それとも、国際的とでも言うべきか。ろくろっ首が中東の形のない神さまを連れて、中華街の肉まんをお土産に持ってくる、晴れた冬の日。
「あ、これ。着てましたよ」
 寒くて取りに行くのが億劫になり、放置していた郵便が、玄関の箱からとうとう溢れたようだ。見かねて中東の神さまが、室内まで持ってきてくれた。
 親切な人だ。偶像崇拝はできないので姿形はないけれど、笑顔を浮かべている気配はする。今日はろくろっ首に誘われて、なぜかうちで祭事用生贄人形を作るそうだ。材料は持ってきたのでお構いなく、とふたりに言われ、僕は作業用のディナーテーブルに、ハサミだけ貸し出した。布を縛って、人の形を作るらしい。
 手紙の束は山となり、多くの物が住所に『居住者さま』、あるいは全然知らない人の名前に宛てられている。前住民であるなら、これが母の父親の名前か。
 分厚いものも、大きなサイズのものもあった。
 僕はちょっと尻込みする。最近は届いていなかったけれど、この中にもひょっとしたら、あの汚れた紙を詰め込んだものがあるかもしれない。何かどろどろと、いやらしいものが挟まった紙から、悪意のネズミで溢れて出てくる想像が浮かんだ。
 指先を、無意識にジーンズの太ももに擦りつける。
 ソファで昼寝をしていたあそびが、寝返りを打って僕を見た。
「なんだ。クリスマスの挨拶とか、宣伝のお知らせばっかりじゃないの」
 捨てちゃいなさいよ、とあそびは透視でもできるのか、手元の郵便物について遠くから、順番に仕分けの指示を始めた。紙上に差出人の名前すらないのに。僕はちょっとあっけにとられる。それを見て、反対にあそびが呆れた顔をした。
「イギリスではまだ、なんでもお手紙で送るのが普通でしょ。銀行でも、病院のお知らせでも」
 そういわれてみれば、役所も弁護士も手紙だった。どんな重大で緊急事態も、電話もメールも使われず、数日かけて書面で郵送してくる。
「だからわざわざ送って寄越したとか、重く考えないで捨てればいいのよ。特別でもなんでもないんだから」
「うん」
 思いがけない声が強く出て、返事した自分で笑ってしまった。
 お客を放置してしまったことに気が付いて、お茶を淹れた。
 多分あそびも飲むだろうから、ポットにたっぷりお湯を注ぐ。砂糖壺はテーブルに置きっぱなしだけれど、はちみつも出そうか迷った。今日は殊更寒いので、お茶請けも飲み物も、糖分たっぷりが恋しい。だから茶葉は、コンディメントに負けないアッサムにした。
 せっせと丸めた布に糸を括りつけている客二人の前へ、カップとソーサ―を並べる。
 供するまでもなく、クッキー缶はずっと机上に出してある。ちょくちょく誰かが来てつまむので、もういちいち棚に戻さなくなってしまった。中身がなくなると、最後の誰かがストックから補給する仕組み。
「ね。ところで今日クリスマスなの、知ってた?」
 あそびが言い。何をねだるつもりか察した僕は、気分とは裏腹にどうでもない、素っ気ない顔をする。
「知ってたけど」
 たぶん僕の機嫌に気が付いているあそびは、上目遣いにしなを作る。ふんわりと柔らかいしっぽが、ソファの上を翻った。どうやったら自分がかわいいか、あそびはよくわかっている。
「じゃあごちそう食べましょうよ。日本人はフライドチキンを食べるんでしょ、あと白いケーキと」
「ジャンクフードを食べるんですか? 聖なる夜に?」
 向かいの席の中東の神様が驚いて声を張り上げ、大げさな驚愕に僕はちょっと戸惑う。
 ろくろっ首も「ローストではなくて?」と顔に疑問符を張り付けていた。なんの疑問もなく習慣にしてきたけれど、そういえばイギリスならごちそうといえばローストだった。サンデーとクリスマスとイースターと。あと食べた経験はない、クリスマスプディング。
「いや、一部のイギリス人はパイも食べるけど」
「ファーストフード、なんでなんだろう」
 その場の全員が――言い出したあそびを含め――首を斜めに傾げる。
「フロスティングのケーキがあるんだろう? 子どもの誕生日だからなんだろうさ」
 ちょうどやってきた猫の甚五が、前足で器用にベランダ窓を開けながらそう言う。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。