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03.空想錬金どんぐり

 現代教養の項目に、魔術は含まれない。
 と、断言しておいて不安になり、念のため確認してみたら、歴史上の一度も、学問に含まれたことすらなかった。そこまで見下げられていたとは、少しばかり驚く。
 かつて、世界には魔法が存在していた。
 そういう言い方をすると語弊がある。現在でも多くはないが、それを使えるひとはいる。けれど今まで体系立てて極めた人がいないので、能力を公言しないことがほとんどなのだ。
 中世、ヒトの身体には魔臓と呼ばれる、目には見えない臓器があると信じられていた。
 そこで魔力と呼ばれるエネルギーを作り出し、ヒト以外の万物が持つ魔素というものと反応させることで、起こる化学反応あるいはその理論、いろいろをひっくるめて魔術と呼んだ。科学が発達していなかった時代だから、理屈はなくても結果が伴っていれば、人々は疑問を持たずそういうものと受け入れたのだ。
 近年の研究では、魔臓は存在しないことがわかっている。
 全ての内臓が、それ本来の働きをするついでに、少しずつ魔力を生産しているというのが、現在最も支持されている説である。
 魔力は正常な人間であれば誰でも、日々作り出しているものだが、量の個人差が激しい。そしてそれが必ずしも、健康状態と比例しているわけではないらしいので、結局今のところ、何のためのものかはわかっていない。ひょっとしたら二酸化炭素のように、体内で不必要なものを、排出しているだけなのかもしれない。
 もちろん、魔力は魔術を発動させるのに、なくてはならない要素ではある。
 ただ、魔力量が多いひとでも、できることは極ささやかでしかない。
 長時間集中し、持てる全力を振り絞って、木片に火を付けるくらいでは割りに合わない。しかも、恐ろしく複雑な構成を理解する必要がある。正しく起動しなければ、暴発の恐れだってあるのだ。
 それならライターをひと擦りするほうが、はるかに早いし安全だと、思うのが普通だろう。
 そんなわけで人類は科学を選び、テクノロジーが発展するにつれ、ますます魔術は廃れていった。
 現在でもそれについての研究者はあるが、魔力が多すぎて無意識に暴発させてしまう患者に対して、いかに効率よくそれを発散させるかが主なテーマで、利用目的は少ない。
 術の構築や構成を、統計した資料はほとんどない。なんせ誰もが無関心だったから、健康被害の原因となりうる魔力を測る以外の、可視化する器材さえ、ないに等しいのである。
 まあそんなわけで、魔術などろくなものではない、というのが風潮だ。
 それに、姉がハマった。
 一昨年不倫夫と離婚して、半年ほど不安定な時期があった後なだけに、このニュースは両親とわたしを震えあがらせた。
 同じような別離を経験した従妹は、新興宗教にのめりこんでしまい、思い出したくもない泥沼へ、親族ともども叩き落としてくれた前例がある。だから姉の「実は今、魔術を習ってんの」の言葉は、我々を戦々恐々とさせるのに十分な効果があった。
 母はお茶の葉を机上にぶちまけ、父はそっと居間から出て行った。久しぶりに家族が揃った、和やかなサンデー・ランチでのことだ。こんなことなら休日出勤と嘘をついて欠席するべきだった、とわたしは後悔した。
 だが落ち着いて詳しく聞いてみれば、少しばかり魔力の使い方を練習しているだけだという。怪しく非合法な話ではなく、月謝が発生するいかがわしい教室に通うという話でもない。
「あたしほら、前にレジンやってたじゃない? そうそう、ピアスとか作って。その時の知り合いが、今は物質錬成やっててね」
 どうやら、同じ趣味の同士が集まって、同好会のようなことをしているらしい。
 魔力で物質を変換させる、いわゆる錬金術は、魔力と関係しつつも唯一、世間に認められている分野である。
 例えば単純に、物質に魔力を注ぐと性質が代わり、更に物質を構築する時に魔術を使うと、また別の物となる可能性を秘めている。
 だが量産には向かない。新製品とするには、安定した供給が望めないのである。だから協賛する企業が少なく、研究できる場所が限られる。学問発展の土台からして、まず作れないのだ
 だから錬金術は、もっぱら趣味で行うものだ。
 姉の同好会の場合、手芸と錬金術のマリアージュがテーマなのだそうだ。
 例えば姉がやっていたレジン手芸だが、これは液体を紫外線で硬化して造形する。樹脂は一度固まってしまった後は変更が利かないのだが、錬金術であれば、一部の状態を硬化前に「戻して」挽回することができる。あるいは型を使わず、空中で成形することで更に自由な作品制作を目指すなど、やっていることは平和この上ない。
 一部はもちろん、透明樹脂の性質や軟度そのものを変えるといった、前進的アプローチも試している。結果は全く同じなのに、紫外線を使わないで硬化させるといった、何がしたいのかよくわからない人もいるらしい。
「写真を見ながら、ハイパーリアリズム画を描く人とか、いるでしょう。そんなかんじよ。たぶん、コンセプトよりも構造を理解するのが楽しいんだわ。わたしの友達も、もし劇薬が出来上がる可能性を見つけたとしても、途中で実験を止めるなんてできないわあ、って言ってたもの。きっとアインシュタインもそうよ。原爆にもなったけど、原子力は悪いことばかりじゃないでしょ」
 食後茶をすすりながら、姉はふんぞり返っていたが、多分自分が何を言っているかわかっていない。知ったかぶりをするのが好きなのだ。言いたいことを言うことだけに専念して、支離滅裂になることも多い。
 お茶請けの焼き菓子に手も付けず、母はまだ不安そうにしている。
「魔術でなにかしよう、ってわけではないのね?」
 と念をおして確かめれば、姉はあっけらかんと
「いやあね、何ができるっていうの?」
 趣味よと、言って姉は、けらけらと笑った。
 それから同好会で作ったという、透明なフィギュアをいくつか見せてくれた。
 透明なプラスチックの中に、動物の形をした気泡が入っている。樹脂の塊を作って、あとから決めた形を原子分解して抜き出すらしい。本当はそうではないかもしれないけれど、姉の説明では、少なくともそんな感じだった。
 なんであれ、これは良い傾向だ。わたしはなんでもないふりをして、心の中で強く頷く。
 姉は結構な箱入り娘だった。
 真面目で、世間知らずとも言えた。元夫に乞われるままに、せっかく就職した会社を数か月で退職し、内から婚家を支えようとした。嫁姑関係も悪くなかった。だがそれは姉の努力あってのことで、彼女は自分の時間さえ僅かにも持たず、そういうものだと信じて、ただ尽くし続けての結果だったのだ。
 家庭の不祥事が発覚してせめて幸いだったのは、夫以外の周囲にはまだ、良心があったことだろう。
 十分な慰謝料が支払われたおかげで、姉はしばらくの間、何もせず療養する時間が持てた。
 けれど妹としては、当時の彼女の虚ろな表情を思い出すと、何十年休んでも何億円もらっても、足りないと思う。正直に言えば、ひとり暮らしをしているのだって心配だ。
 家族の誰も口には出さないけれど、魔術だろうがなんだろうが、何かに没頭できるまで回復した姉に、きっとほっとしている。
 母もやっとお菓子に手を伸ばす余裕がでてきて、姉にお茶のお代わりを尋ねていた。
 趣味が似ている母は、姉の作品が気に入ったようだ。机の上に並べられたひとつずつの制作過程を尋ねては、姉とアイディアを交わしている。姉も姉で、身を乗り出して母子の会話を楽しんでいるように見えた。
 わたしは黙って冷えたカップを口に運ぶ。
 動揺して消えたままの父をそろそろ探しにいくべきか、迷いつつ。

 次に姉と会ったとき、ガラスでできたどんぐりをくれた。
 わたしのオフィスの近くへ買い出しに来たとかで、一緒にカフェで昼食を取った時のことだ。
 職場は姉の家からは接続が悪く、ちょっと時間がかかるので、出不精になっていた姉には珍しい。わたしはますます、魔術を見直した。姉にとって楽しい趣味であってくれてありがとう、と肩でも叩いて労いたい気分だ。
 姉はにこにこしながら、キャロットケーキを頬張っている。足元には、大量の紙袋。高価な樹脂材料には大きいと思ったら、中身は砂であるということだった。
 同好会は続けていたが、レジンには飽きたそうだ。四元素に関する魔術を覚えたら、物質変換に興味が湧いたのだと言う。今はクリスタルをガラスに作り変えるのに凝っているらしい。
 詳しいことはわからない。姉のことなので、多分習ったことをあやふやなまま説明しているのだろうから、当然だ。それでも長年妹をしている杵柄から、ざっくりと理解したところでは、元になるものを材料となるもので覆い、中身を分解するエネルギーを再利用して内外の物質を移動させる、ということのようだ。
 このドングリはガラス粉で覆って作ったが、次は珪砂でガラスから作り出したいと息まいている。
 発想そのものだけなら、レジンのモールドを作る方法に似ているかもしれない。自作で型をつくるには、元となるものをシリコンなどに一度埋めて、抜き出して使うのだ。
 型抜きガラスは、少なくとも一般的ではないはずだ。魔術が有効に活用されているのを感じる。
「面白いでしょ?」
 妹の好みを熟知している姉は、ガラスのイチゴを見つめていたわたしの姿に、満足そうだった。それで終わっておけば良いものを、得意げに花弁のような薄いものの方が、案外変換に時間がかかるなど、好き勝手に語り始める。わたしは話半分に聞き流した。
 最初は心配そうに姉を見守っていた両親も、この頃にはすっかり胸をなでおろして、娘の生活に口を出さないようになった。
 実家に呼び出したり顔を見に行ったりする回数が減ったのは、姉に活気が戻ってきたからだけでもない。来訪しても同好会の友達と出歩いたりして、家にいないことが続いたからだ。姉は気ままなひとり暮らしを謳歌している。
 家族の趣味としてわたしの人生に関係するようになった錬金術だが、意外と隠れたファンは大勢いて、ちょっと話題に乗ると会話が広がったりする。
 それで驚いたのは、かの同好会はそれなりに有名になっていることだった。更に姉の応用力の高さは、サークル内外で定評があるらしい。魔力も多い。いつも、誰かの何かを手伝っているので、結構な繋がりを持っているようだった。
「あの人、お姉さんなの?」
 と称賛されると、嬉しい。
 わたしは過剰に姉を愛しているわけではないが、一般的な家庭環境内で育んだ程度の親愛は抱いている。
 だからではないが、元夫の所業を知った時は去勢してやりたいと唾棄したし、大魔術師になるかもしれない姉を捨てたことを、存分に悔めば良いと嘲笑うことだってする。まあ、有名になろうが所詮は魔法使いではあるのだけれど、もしも後悔しているなら、と考えるだけでも溜飲は下がる。
 本人はいたって平和だから、自分の実験に熱中できれば、他者からの評価に興味がない。
 人が良いので手伝いを受け、成功したら「よかったね」と祝う。誰がどんな功績をあげたのか、自分がどれだけそれに貢献したのか、心底どうでもよいのだ。それが、周囲の高評価に繋がるとわかってもいないだろう。
 家族としては、姉が楽しく遊んでいるならばそれで良い。
 その後何回か、姉に付き合って砂場巡りをした。
 子ども公園で錬成していたら警察を呼ばれたので(砂場は公共資材なので実験に使ってはいけない)、休日が合えば一緒に海へ行った。
 最初は遠くてもわざわざ砂浜を探して訪れていたが、術者が物質変換式の展開に慣れると、その後はチャートなどでもガラスを作れるようになって、行動範囲が広がった。後には逆に難しさを求めるようになり、適当な山に登ったりして、ついでの自然散策を楽しんだ。
 そうして観察してみると、魔術に関して姉は感覚派であるようだった。
 コメディでしか見たことがない、「ばーっとして、これだっていうタイミングにガッ」という、子どもだってしない説明を本当にする。この大雑把な勘の良さが、繊細な操作を必要としつつも全てにおいて未解明な魔術を上手く使うコツなのだろう。
 学生時代、姉は学校の規則に沿って従い、四角定規な性格だった。離婚のショックから立ち直る段階で変わったのだ。
 あんな目に合わなければ魔術に出会わず、そして才能を開花させなかったかもしれない、と思うと、複雑な心境になる。
 当の姉は相変わらず作品を作り続け、たまに大量の在庫に手を焼いている。

 やがて、姉は化石を作るようになった。
 化石というのは骨に水が浸透し、そこへ更に長い年月をかけて、土壌のミネラルなどがしみ込み置き換わることによってできる。
 ひょんなことからそれを知った姉は、工程に取り入れてみたのだそうだ。
 出来上がるものはいつもと変わらない、ガラスの鰯や、ちょっと目先を変えて銀製の鶏足では、見たところ化石と言われてもピンとこない。そもそも化石の定義が、一万年以上だか前のもののはずだから、姉が作るのは大げさにいっても、せいぜい化石もどきというところ。
「でもなんか、それが最近人気があって、よく頼まれるの」
「なんで?」
「さあ。みんな、恐竜が好きだから?」
 まるで相手を理解させるつもりのない発言をしつつ、姉は小さな卓の上で、淡々と金のクルミを作っている。
 最近では、趣味の錬金術が仕事に変わりつつある。
 注文はひっきりなしで忙しく、出かける暇もなさそうだ。でも姉は、それはそれで楽しそうにしている。求められることは、生きがいに通じることもあるのだ。
 出来上がったそのものを欲しいという人もいるようだが、プロセスを見たい、記録したい、という依頼も多いそうだ。部位によって色分けしたプラスチックで作成して、と細かい注文が付くこともある。
 それを聞いて何か思いつきそうな気がしたけれど、理系はからっきしの頭では難しい。ひっかかるものがあるとしても、飲み下すしかなかった。
 田舎から届いた大量のりんごのお裾分けを持って、久しぶりに訪れた姉の部屋は、ひとり暮らしを始めた頃の殺風景さはもうない。誰がどう見てもオタクの部屋だ。掃除は行き届いているのに、ごちゃごちゃした印象を与える。
 その混沌の主である姉は、対称的にますますさっぱりとしてきた。
 ミニマリストというのだろうか。実用以外は削ぎ落し、服装の好みもまるで別人だ。清潔だし、ありがちな世捨て人という感じは与えない。達観している。矛盾するかもしれないけれど、行き当たりばったりで大雑把なままに。
 それが姉にとって良いことなのか、わたしにはよくわからない。
「例えば卵には、殼と内側の膜と、まあカラザと、白身黄身、胚なんかがあるじゃない。変換後は一見、一体化しているように見えるわね。でも実際にはどこからどう変化させたかもあって、境界があるわけ」
 作業の手を止めず、姉が言う。片手間に分子を分解したり構築したりしているかと思うと、ちょっと感動的だ。
 魔術で作ったガラスは特徴があって、熱を加えたときに独特の割れ方をするのだそうだ。齧った程度の知識があればどこからどのように、更に機材があれば、どのくらいの早さと魔力量で作られたかもわかるらしい。
「だからなんか、そういうアレじゃない?」
 けれどやっぱり、よくわかっていないのだ。姉が魔ガラスの性能を知っていただけでも驚いたので、わたしは何も言わない。
 姉は顔を上げ、ちょっと息をついた。出来上がった木の実を手の上に乗せられたので、転がしてよく見る。無造作で、自然で、美しい。
 今作っている金のクルミも、割ればきちんと金の殻と、実に分かれるようになっている。
「それとも、あれかな。モールド材料は本物だから、中身がおかしくなっていることとかあるのね。それもそうだったの。虫に食われたのか、なんか病気なのかしら。中にしこりみたいになっているところがあったから、そこを消して上手く細胞を増やして整えたんだけど」 それかしらね?
 姉は立ち上がり、壁のカレンダーに記入してあった名前を勢いよくサインペンで決して、しれっと呟いた。あまりにも気のない告白だったので、最初はわたしも「ふーん」と相槌を打って頭の中のゴミ箱へ、会話を捨てかけてしまった。
 忘れかけて、ふと思いつく。
 首の後ろで、一気に汗が噴き出した。
 現代でも、錬金術で不可能とされていることはたくさんある。例えば賢者の石、完全に近い金属オリハルコン、人間を一から作り出すこと、万能薬。誰も造れないことになっている。
 現代科学では、それを証明することができないから。
 わたしの動揺に気が付かない姉は、鼻で歌いながらコーヒーを淹れ直している。
 床に座っているわたしの背中は、台所に立つ姉の背中へ向かっている。外は珍しい晴天、急に冷え込んで慌てたセントラルヒーティングが、急いで室内を温めていた。
 それは、と漏らした声が掠れてしまった。枯れて、言葉が続かない。
「どうかした?」
 姉の声は、いつもどおりだ。
 テーブルの上には、無作為に姉の作品が転がされている。たった今出来上がったクルミ、ザクロ、みかんは果物のままのものも残っている。ザクロはナイフで切り開かれた皮の繊維が見えるほどで、粒は銀色に輝いていた。恐らく内部を含めて全ての果肉は、金属に変わっているはずだ。
 わたしは自分の頭もこのザクロになったような気がして、取り留めなく思いついたことを、ひと粒ずつ並べてみた。並べ終えて、全て胸の内に仕舞っておくことにした。
 だってそれを指摘すれば、姉は実験せずにはいられない。
 最近の姉は、そういうところがある。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。