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14.この度、魔法少女であることが発覚しました。

 三十代を半ばすぎると、健康診断が大事だと周辺がうるさくなる。
 婦人系の病気の検査も、そろそろ勧められ始める頃だ。
 世間ではもうちょっと遅いと聞くけれど、うちの会社は女性の比率が多いため、人間ドックでもそのへんの配慮がなされている。希望者は検査を追加でき、したくなければしなくても良い。なかなか保険に厚い会社なのだ。
 期限日、診断申請書を提出に言ったら、総務の担当者が友人のリッサンだった。
「適当に指して、じゃんけんで負けたやつを受けてみよう」
 と彼女が言い出し、「大丈夫、このシートの右側の検査なら会社が出してくれるから」という甘言に乗せられ、ふざけて追加検査をすることにした。
 その後、同じように唆された係長が「負けて大腸検査を入れられた」と落ち込んでいたので、そうならなくて良かったとは思った。けれど、自身は血液検査の項目がいくつか増えた程度だったので、ドック当日にはすでに、何をチェックしたのかすら忘れてしまっていた。
 検査結果を聞きに行った診療室で、告知があって驚いた。
 自分が実は、魔法少女だったというのだ。
 正確には超自然的力に対する耐性及び蓄積量の上限が普通よりも多い、ということだった。それにメディアがつけた俗名が魔法少女気質。
 この項目はわたしの時代、学校での検診になかった。子どもが学校で受ける接種や検査の一つで、つい数年前に始まったものだ。これまで原因不明だった幼児の体調不良の一つに、魔力酔いがあることが発見されたことによる。主に成長期の問題だから、成人済みのわたしはそのことに明るくなく、健康診断の項目があることも今回初めて知った。
 あまり年のことは言いたくないけれど、三十を半ば過ぎて、魔法適性が見つかるとは。
「それで、何ができるんですか?」
 期待を隠しきれずそう質問すると、年若い医者は無表情にちょっと天井を見上げ、特に何もありません、と言った。
「例えば、絶対音感があったと発覚したとします。でも音楽の知識がない人には、特に意味はありません。突然バイオリンが弾けるように、なるはずもない。あなたの場合、超自然的能力に、適正があるだけなんです」
 パリッとした白衣の医師は、ちょっと眠たそうな目で、そっけなくそう言った。わたしは肩透かしを食らったような気分になる。
「……なにか問題になることは?」
「これまでなかったのですから、ないんでしょう」
 その他の結果は良好です。わたしが予想していたよりも健康体であること、また一年後に健康診断をすること、淡々とそれらを受け止めて、わたしは病院を後にした。
 ほとんどアラフォーの魔法少女か。
 師走の街は浮足立って、クリスマスの電飾で昼間からチカチカしている。

 同期で集まって飲み会をした。
「とりあえず皆ビールでしょ。ハイ、カンパーイ」
 忘年会と名がついているが、うちの会社は年末年始は大忙しなので、他所よりも早めに行われる。どちらかというと、繁忙期を生き延びようと気合を入れる意味の方が強い。営業なんかは外の付き合いでこれから段々死相が出てくるが、今日はまだ食べて騒げる元気があった。
「追加お願いしまーす。生ビール、パイントで持ってきてもらえます?」
 弊社は生花や果物を注文されたイベントへアレンジして届ける会社で、だからというわけではないが小綺麗な女性社員が多い。性別に限らず茶道華道に精通する者、そういう教育を受けたつまり良いところの子息もちらほらいる。
「すみませーん、このアボガドのなんとか、二人分追加できます?」
 わたしはアレンジと倉庫が担当なのでほとんど外の人と話すことはないのだが、会話の機会があればだいたい、営業の手腕だの、受付の対応が素晴らしいだの、お褒めの言葉を預かる。高嶺の花には直接言えない、けど称賛を誰かに打ち明けたい気持ちはわかる。そして自分、いつも動きやすいカジュアルで髪をひっつめた地味女、がその手頃な相手なのも理解できる。
 でも、あんまりそういう話の相手にするのは、勘弁してもらいたい。
 吹き出してしまいそうになるんだもの。
 絹のようなストレートヘア、優しげなのに敏腕と評判の営業課美女、またはちょっと憂いた瞳に庇護欲を掻き立てられる麗しの受付嬢。彼女たちが顧客のいないところではどういう人間なのか、ちょっと見せてやりたいと思う。
「っはー、すきっ腹にきくうー。昼も抜きだったんですよねえ」
 美形で良家のお嬢様なんて、箱入りに決まっているのだ。
 社会、しかし同性が多めで緩く、許されやすい環境に置かれれば、外の色にどっぷり染まる。オタクとか腐女子になったのもいるし、なぜか筋トレにハマってドレスの下はシックスパックというヤツもいる。
「あ、そのエビ全部貰います」
 救いなのは、めんどくさい主義主張、宗教に入れ込んだ子は今のとこいないということか。
「ほらそこ、煮立ってるから春菊食べちゃいなさいよ」
 そこまで大きくない会社で、上司がみんなのほほんとアットホームだと、政治でなく人は趣味の結びつきを強くするらしい。わたしは女子の知り合いのが多いけれど、男子だって別に肩身を狭くしてはいないと思う。乙男と呼ばれるタイプばかりでもなし、しかしながら、古い男尊女卑主義者はあんまりいないかもしれない。
 今回は同期の集まりなのでそこまで濃厚な繋がりはないが、それなりの年月を同じ会社で過ごし、大半が『売れ残った』奴らなので、仲は悪くない。たった二人の男性社員も理解があるほうなので、義務感の薄い集まりだ。
 ただ会話のちょっとしたタブーが多すぎて、「そういえば例の彼氏はどう?」と尋ねて相手にテキーラを煽らせ、「あの言ってた企画は通った?」と伺われてジョッキを空にしてるうちに、全員が全員泥酔状態になった。
 酔っ払った勢いで、健康診断の結果をぶちまけた。
「あははは」
 ちょっとおしゃれなスペイン風バル、シンプルだが雰囲気の良い個室で同僚が抱腹絶倒、机に突っ伏したり床に転がったりしている。テーブルのトマト鍋が揺れ、イスがぶつかった衝撃でエビが宙を舞った。シャネルのスカーフがぐしゃぐしゃになっているのを見つけて、わたしはへらへら笑う。
 店員が一人、爆笑に驚いておずおずと様子を見に来た。
 妙齢の女が七人、少数でも好青年を従わせて、粛々と入店したのだ。営業のアニさんが注文する時、店員から見る顔の角度、囁く音量も完璧だった。そこから数十分もしない内の乱痴気騒ぎだから、差異に不安に感じるのは当然だ。
「なんでもありません、ご迷惑をおかけしまして」
 正真正銘の旧家のお姫様、しかし半年で韓流アイドルの追っかけを隠さなくなった秘書部のサロが穏やかに微笑んで場をごまかす。扉が閉まって取り繕う面が必要になくなると、再び皆がくつくつと笑い出す。
「まったく、私の擬態は恐ろしいまでに完璧ですわ」
「いま擬態って言った?」
「自覚あったんだ」
「あっなんか僕、よじれて胃が」
 きりりとした顔のサロに周囲がツッコみ、数人がむせ、逆紅一点(男は二人いるがニレは愛嬌担当)の風祭さんは吐きそうになって個室を出ていった。空いたドアの隙間から、カウンター席より好奇な視線が集まる。にっこり微笑んで、わたしは手を振った。
 背後からアニさんたちが、ビールを追加注文する。見た目は完璧でも、ピッチの早い注文票をみれば擬態はすぐバレそう。
「なんなのあんた、魔法少女って。その年で?」
 ある意味検査をすることになった元凶とも言える、総務のリッサンが涙目で腹を抱えている。簡単に説明し、酔いで気が大きくなったのか自虐が強く出たのか、だからって何もできないことを話すと、再び同期たちは笑い転げた。
「あ、でもあたしの姪も数値が高すぎるんで毎日魔法を使えって指導されてるんですけど、結構すごいですよ」
 中途採用で二ヶ月だけ後輩のにゃもが、生ハムの巻かれた細パンで人を指して言う。
「ゆで卵を透視して半熟にするとか、お風呂を温め直すとか。ゴーレム作ってままごとしたりとか」
「なんかやってみなよ、やればなんとかなるかもよ?」
 風祭さんが戻ってこないので男性一人のニレは、でも別に居心地が悪そうな様子もなく、にやにやそう提案した。多分こいつは、ミニスカートで悪と戦う魔法少女のわたしを想像している。睨まない。虚無の目でニレを見返す。
 でもわたしなら、例え剛力を得ても敵と戦うなんて無理だと思う。
 空調で乾燥してしまったスライスチーズを口に入れ、グラスに手を伸ばすとロングアイランドアイスティーはいつの間にか空になっていた。若い頃はカシスオレンジがあざといと勧められてきたけれど、もうかわいい年でもなし、わたしはこれが一番好きだ。本当は浴びるほど飲みたい。度が強くてそうもいかないのが辛いところ。
「おかわり、お持ちしました」
 先程のウェイターではなく黒服のバーテンが、ジョッキを三杯掲げてきた。
 「ペールのお客様……?」の言葉が続かず、見上げると黄金色のグラスの中が、明るい茶色へと変化していくところだった。わあ、きれい。酔っ払った頭でそう思う。
 戸惑う店員からジョッキをひったくったリッサンが、一口舐めて首を傾げる。
「あれ、これビールじゃないな?」
 別にいいけど、と友人がごくごく飲み下すのを、バーテンと二人で呆然と見守る。
 
 そんなことがあって、わたしは隠れて魔法の練習をし始めた。
 本で読んで数日自習してみたけれど、どうしても理解ができなくて結局一日体験コースを申し込んだ。これはもちろん、子どもを対象にしたものだ。年齢制限はなかったので参加に問題はなかったけれど、幼児に交じる中年のおばさんはものすごく恥ずかしかった。
 でもおかげで、基礎はできるようになった。
 というか今までずっと、わたしは魔法を使って生活していたようなのだ。
 にゃもの話で、姪が可愛いと思った以外にひっかかったのは、「お風呂を温め直す」というところだ。
 わたしはこれまで一度も、湯沸かし機能を使ったことがない。そういえば、冷めたコーヒーも飲んだことがなかった。気づいていなかっただけでどうやら無自覚に、そしてむやみに力を使っていたみたいなのだ。
 意識してこれをやろう、とすると、魔法にはちょっとコツがいる。
 頭の固い大人になってからの弊害か、プロセスを無視することができないのだ。洗濯を乾かそうとしても、ただ水分を飛ばすことができない。熱で蒸発させるか(やってみたらセーターが縮んだ)、小さな竜巻でも起こして風を当てるか(袖が破れた)、しないとならない。
 意図せず呪いをかけてしまう場合はその限りではなく、等価交換を完全に無視して、蛇口から出たラム酒の風呂を焚くこともできる。まあ、この辺は修行中だと諦めるしかない。幸か不幸か、わたしの耐性はかなり高いので、山程失敗してもなんともないのだ。
 そして現在わたしは特に集中して、空を飛ぶ練習をしている。
 飛ぶこと自体は簡単だった。漫画やアニメでお手本が山程あるので、イメージがしやすい。
 ただ、高さと速さの設定、それとバランスに手こずった。狭いアパートの一室で天井に頭をぶつけること数回、上の階の住人に白い目で見られたこともあった。風圧にガラスを割り、窓から飛び出して突然飛ぶのを止めて落下したこともある。
 結局身一つではどうしようもなく、ほうきに跨って飛ぶことにする。高さと速さは口に出して固定することで、なんとか様になるようになってきた。でもまだうまくは飛べない。これは練習するのみなのだろうが、人に見られるのが気になって、時間がなかなか取れなかった。
 一度、深夜に街の上空から、セルフィを撮ってみた。きらきらの、真上から見たクリスマスツリー。でもまだ、友人グループにも写真は送っていない。

 仕事に関しても、以前となんの変わりもない。
 別に秘密にすることでもないので、同期たちに口止めはしなかった。だから突然、「君が魔女っ子ちゃんか」と知らない人に声をかけられたり、「この花を1m位にさせることはできます?」なんてお願いされることはある。
 特に目的なく話しかけられる場合はしばらく世間話に付き合い、魔法の頼まれごとは全て断る。何かやって苦情が来るのは困るし、こういう要求はエスカレートしやすいと知っていた。
「でもそういわれれば、いちさんのアレンジは不思議なくらい保ちましたね」
 なんて、言われることもある。
 指摘されてからは、お得意さんに納品するときのみ、こっそり「長持ちしてね」と商品に話しかけるようになった。その程度のサービスは、おまじないのつもりでやり惜しみしない。
 アラフォーで魔法少女と告知され、迷惑にすら思った。けれど蓋を開けてみれば、特別なことは何もない。これまで同様地味な格好をして、世界を救ったり派手なことをする気もなく、ただただ同じ日々を過ごしている。
 親しい人から
「魔法は使えるようになった?」
 なんてからかわれても、笑ってごまかして応えない。
 ただ、一度だけこんなことがあった。
 銀行への用事を片付け戻ると、受付でにゃもとリッサンが困っていた。もちろんそれを顔には出さず、外面の笑顔を貼り付けていたけれど、長く付き合っているのですぐにわかった。
 入り口の応接セットのところで、常務が大声で誰かと電話している。私用であるらしい。外部の人に見られるこんな場所で、いつもなら配慮が足りないだの、文句をいう側の人なので、何があったのかと訝しむ。
 こっそり友人たちに尋ねると、娘が受験票を忘れたようだ。しかもそれは、常務のせいであるらしい。勝手に神棚に置いて、そのまま忘れてしまったのだ。
 会場は隣の県なので、戻るどころか持ってきてもらうにも時間が足りない。まして年末、外を見れば雪がちらつき交通渋滞で、電車もいつ止まるかわからない。
「なんでそんなに詳しいの?」
 と質問するまでもなく、年配者のよくある最大通話音でスピーカー利用のごとく、会話の内容が筒抜けだ。女の子は小鳥のようにすすり泣いているし、父親は大声で慌てたり宥めたり忙しい。
「使いたかったのに宅配バイクが出払ってるって、うちに怒鳴り込んできたんですよ。まあでも、単車があっても無理じゃないですか」
 暴走族じゃないんだから、とにゃもが呟く。リッサンは社用車の手配を断っても納得されず、埒が明かないので呼び出されたそうだ。お得意の、のらりくらり話をはぐらかしている様子が、見ていたように脳裏に浮かぶ。
 迷惑そうではあるけれど、静かに傍らで面倒事の様子を伺っている。口は悪いが、根は優しいのだ。
「あんた、なんかちょっとできない?」
 話を振られ、ちょっと考える。
 しょうがないな、とすぐに諦めた。常務はどっちかというと感じが悪い方だけれど、困っている女の子を見捨てるほど、冷酷になれない。だから出世しないんだよ、と内心自分へ舌打ちをする。
 リッサンは顔を、くしゃっと崩して笑った。
「さすが魔法少女、我らのスーパーヒーロー」
「うるっさいな。奥さんの方に連絡とかはやってよね」
 調子のいい友人に一言、巻き込まれた立場だから場の収拾は任せてしまおうと、あれこれ指示を出す。
「いや。先輩、ほんとにかっこいいですよ」
 にゃもが真顔でそう言い、照れて反応に困った。
 乗り物には、入り口に飾ってあった柄の長い熊手を借りた。とにかく時間が惜しかったので、ほうきを探す手間を省く。外出したところでよかった。コートに熊手じゃ、かっこよさは半減かな、とちょっとだけ恥ずかしい。
 背後で邪魔をするなという常務の怒号、集まってきた社員の好奇の目に赤面しつつ、外へ飛び出して地面を蹴る。偶然そこにいた通行人が驚いて跳び退き、上昇で止まれないわたしは大声で謝った。足の裏に集まる視線は、繁華街をすぎるまで振り払えなかった。
 平日昼間に街の中を飛んでみたけれど、寒いくらいしか感想はない。
 あと、直線距離はやっぱり早いということ、検索サイトの衛星写真による写真地図がものすごく便利だということ。敏腕リッサンがすぐ常務宅の住所を送ってくれたので、進行は驚くほどスムーズだった。
 届け物は間に合った。
 父親に似ない可憐な女の子は、礼儀正しく何度もお礼を言った。緊張のため、そして慌てて早口に言うことには、母校からは初めてとなる推薦入試で、入学できたら高性能な義手の開発研究をしたいそうだ。
 すごいなあ、と感心した。
 熊手を片手に、会社へは電車で帰った。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。