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15.庭のパン焼き窯

 僕の家では休みの度に、田舎の祖父母の家で何日か過ごすのが決まりのようになっていた。
 それは父の二人の兄妹の家も同様で、子どもがいる伯父のところだけでなく、結婚していない叔母も、猫を連れて必ず休みには顔を見せにくる。だから夏休みとイースターの春休み、そしてクリスマスから年末年始にかけては、皆でぎゅうぎゅうになって生活するのだ。
 ところが小学校三年生の夏、珍しくも僕一人だけが滞在していた期間があった。
 まず、急な仕事が父に入り、バルセロナの家の残った。そして母方の大叔母が入院して人手が必要になり、母も滞在して居られなくなったのだ。
 フランス語学校に通ういとこたちはスケジュールがずれるのでまだ休みに入っておらず、叔母はいつも八月の中盤から合流する。たった二週間の程度のことではあったが、急遽、初めての独断場を演じる羽目になった。
 祖父母の家へ送り届けてくれた母が帰ってしまった時は寂しかったが、今でもそれを覚えているくらい、楽しかったのも事実だ。
 祖父母は孫に公平であろうとしていたので、それまでかえって個別に会話したことがほとんどなかった。だからそれは、彼らの人柄を知る、良い機会でもあったのだ。
 まず僕は最初の数日で、ちょっと怖い印象だった祖父が、単純に口下手だっただけだということを知った。
 それから彼は読書が趣味で、更に子ども向けのファンタジーや冒険譚を好むことを発見し、大いに共感を抱いた。招かれてみれば、薄暗くて敬遠していた祖父の書斎には、指輪物語にハリーポッター、それから僕の知らない外国の児童文学がたくさん置かれていた。僕にとって、天国みたいな場所だった。
 僕は「グレッグの日記」をいくつか持ってきていたので祖父に見せてあげ(後になって考えれば、これはかなり幼稚なコメディ本なのだけれど、当時の僕のイチ押しだった)、祖父は代わりに日本童話の翻訳本をいくつか貸してくれた。
 それは少し悲しい動物や人間の物語で、僕はフルート弾きが木ネズミの首を優しく絞めるくだりがとても好きだった。
 夏の終わり、その本はいとこたちには内緒で僕の物になった。僕がそれを愛したことを、祖父は心から喜んでいたように思う。
 祖父とはそうやって昼食後、シエスタの時間を書斎で一緒に読書をして過ごした。あとはたまに、チェスの勝負をした。僕は攻略本を片手に勝負しても良かったけれど、結局一度も勝てなかった。
 それ以外の時間は、たいてい祖母と一緒だった。
 明るくて天真爛漫な祖母とは元々打ち解けてはいたけれど、一人だとその仕事ぶりが良く見えて驚いた。
 食事の用意は親族が集まっていればもっと大変になるのだろうが、祖母は三人の食卓でもけして手を抜かなかったので、長い時間を台所で過ごした。その上大きな屋敷の掃除を一人でし、洗濯して庭の手入れをし、ついでにささやかな家庭菜園から野菜を収穫する。休憩にお茶を飲むときでさえ、手元では編み針が動いていた。
 小さくてころっと丸い身体ながら多大なバイタリティを備えた祖母は、同じように小柄で学校では引っ込み思案な僕の、身近なヒーローとなった。
 祖母の後ろをついて回り、手伝えるところは手を貸す。クラシックな教育を受けたはずの祖母だが、男子の僕にも掃除洗濯、簡単な繕い物の仕方とそのコツを教えてくれた。そのおかげで、一人暮らしをしてからも家事に関して、困ったことは一度もない。
 僕が一番好きだったお手伝いは、なんといっても料理だ。
 なんせ祖母は毎日自家製のパンを焼き、おやつまで手作りするのだ。都市部では通常そうであるように、パンやマドレーヌは店で買うもの、という認識を僕は漠然と持っていた。ただの粉から様々な物を作り出す彼女が、魔法使いのように見えたとて、何も不思議ではないだろう。
 特別な物や、一度にたくさんのパンを焼く場合、祖母は玄関の裏口にある窯を使った。
 それはブーゲンビリアのアーチの下にあり、鮮やかな赤茶のレンガでできていた。とても古く、錆びて二つある鉄の扉の、下の方に薪をくべて使うのだ。
 その日はいとこたちが来る前日のことで、祖母はお得意の丸パンを焼こうとしていた。
 シンプルな小麦粉の生地をゆっくりと発酵させ大きく焼き上げるこのパンは、翌日からが最もおいしいので、いつも事前に用意する。個別にアレンジができるのが強みで、ミックスナッツ、チーズ、野菜と豆を刻んだもの、それから僕の大好きなプルーンとクルミは特別に多めに、それぞれ丸める時に混ぜ込まれていた。窯に入れる直前、どれもたっぷり発酵からのガスを内包し、息を吹きかけるだけでフルフル震えるくらいだった。
「昔は町内に一つは公共のパン焼き窯があって、そこで数日分のパンをいっぺんに焼いていたの。この辺は家が少ないから、時々ご近所さんがうちの窯を借りに来たものよ」
 窯を使うとき、祖母はまず最初にお供え物を火にくべた。
 それはたいてい果物やアイスクリームのような冷たいもので、焼くために氷菓を入れるなんてあべこべだ、と僕は思った。でも、敬愛する祖母が間違ったことをするはずがないので、黙って彼女の話を聞いた。そして何も言わなくても祖母は、顔の上の疑問や感想を、読み取ることがことのほか上手だった。
「竈の神さまはいつも暑いところでお仕事をされているのだから、差し入れは冷たいものがいいの。喜んでいただけたら、パンがおいしく焼けるのよ」
「神さまは窯に住んでないよ、天の国におわすんだよ」
 僕はこの少し前、早めの洗礼式を受けて教会で勉強をしていたのでそれを知っていた。ひょっとしたら祖母が勘違いしているのかもしれないと思って、おずおずとそう訂正した。火力を確かめていた祖母は、ちょっと眉を上げて僕の顔を見た。意外、そして微笑ましく名誉に満ちた目。
「この神さまは、私たちの父なる神とは違うのよ。東洋の国々では、神さまがたくさんいるんですって」
 祖母がいうにはこの竈の神さまは昔祖父が、旅行中に火を分けて貰ってきたもので、元はある家の守護神であったらしい。本来ならば気性の激しい神だと聞いていたが彼女は(祖母はそれを彼女と呼んだ)とても穏やかで、いつもパンを色よく焼き上げてくださるのだそうだ。
 祖母は、彼女と数十年来の友人なのだという。
「なんであれ、何かをしてもらったらお礼をするのが当然でしょう」
 僕は全てに納得がいっていなかったが、それでも祖母の言うことだから、素直に竈に頭を下げた。
 どのパンも黄金色にふっくらと出来上がった。
 祖母が天板からパンを保存用の布袋に移し替える後ろで僕は、集めてきたジャスミンの花弁を火にくべてあげた。僕が祖父母の家の周りで、一番気に入っている花だ。良い香りの桃色の煙が上がり、「喜んでらっしゃるわね」と祖母が頭を撫でてくれたのを覚えている。
 祖母の語った真偽はともかくとして、後から思い出せば不思議な窯だった。
 その後も何度か窯を使う手伝いをしたが、僕は一度も、祖母が火種を入れるところを見たことがない。そして祖母は、あの窯を使って一度も、料理を焦がしたことがなかった。
 数年前に祖母が亡くなり、今ではあの家に祖父が一人で住んでいる。
 僕は時々、庭に出てその窯の中を覗く。もう使う者のないその竈の中はいつもきれいで温かく、それになぜか、お菓子の甘いにおいがする。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。