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12. ×××に関するふたつの話


12.1 快楽主義者による哲学的ゾンビ
 青年は、思考を深く愛していた。
 彼はとても熱心な哲学科の学生で、朝目が覚めた瞬間から夜寝るまでの間、何かを深く熟考してばかりいた。
 それは何も、論理的科学の実験に限らない。
 彼の一日の全てが、思考のための題材となるのだ。例えば、朝食の玉子が先なのかニワトリが先か、そんなことを考える自分が、味わっているイチゴのジャムの味は、本当に他の人間が感じているものと同じなのか、あるいは食事をしている自分というのは全くの幻想で、自分は身体を持たないただの意識の集合体であり、全てが存在しない世界なのではないか、と言った具合に。
 しかし、人間の脳は、余りに多くの思考には耐えられない。
例えばマルチタスクを行わせたコンピューターにエラーが起こるように、時には人間の頭もショートしてしまうことがある。脳が混乱すれば、身体と連結が取れなくなるのだ。
 青年は体調を崩してしまったが、それでも長年の癖で、思考を止めることはできない。しかし、もはや限界を感じている彼の脳は、それを許容することもできないのだ。
 そこで、「第二の頭」で物事を考えるという緊急手段をとらざるを得なくなる。
 本来ならば特に生殖に置いて本能的な、そして脊髄反射的な単純さで物事を考えるはずのその部分が、哲学的な思考を強いられるのである。いささか動物じみたところがある第二の頭は、何を考えるにしても声に出さなければ考えがまとまらない(そもそも、結論に至ろうとしているのかどうかさえ、怪しいところではあるのだが)。思いついたことは思いつくままに、論理など一切に関係なく、×××から声となって垂れ流される。
 今日などはとうとう、思考に節をつけて歌い出す始末だ。そんな状態で外に出ることもできず、仕方なく青年は、自分の×××の発する声を聞きながら、快楽主義者による哲学的ゾンビについて考え始める。
(哲学、頭、×××)

12.2 平行回転するふたつの宇宙を
 引き出しから出てきた見慣れないヨーヨーを、掃除のためにアルコールで拭いたら、黒くなってしまった。
 紺とも黒ともつかぬ深い暗闇が、きらきらと夜空のように光っている。時々赤く瞬くのは、酔っ払ってしまったせいだろうか。
 しかし、たとえ酩酊状態にあるとしても、ヨーヨーである限りはその用途を守らねばならぬ。わたしは虹色に光る糸の先に輪をつくり、それを指にかけて、何回か吊って回転させてみた。
 そのうち赤はどす黒く強い瞬きとなり、回転に勢いが付いたこともあって、ヨーヨーを中心にブラックホールを発生させてしまった。糸で繰ってある中心の、左右のブラックホールが互いに作用し合い、勢いを増して大きく膨らんでいく。
 そして最終的に、平行に回転していたふたつがぶつかって、ビックバンを起こした。
 わたしの左手を中心に宇宙が発生してしまい、わたしは少しだけ困ってしまう。これでは出かけることもできない。日常生活を送ろうにも、片手が塞がっているのは不便だ。
 それで、何かないかと上着のポケットを探ってみると、コテカが一つ入っていた。
 しょうがないので、そのコテカにそれを畳んで、詰め込んでみることにした。宇宙は広いが薄っぺらいので、簡単に全部押し込めたまではよかったのだが、なんせ蓋がないので、押さえていないと出てきてしまう。
 しょうがないので本来使用すべき場所にコテカを装着し、流出を防いでみた。五分ほど待ってみたが、特に問題はないようだった。
 わたしは安心してため息をひとつ、×××に宇宙を付けたまま、学校に出かける用意を始める。
(ヨーヨー、アルコール、コテカ)

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。