見出し画像

07.缶の中のバディ

  きっかけとなった玩具がそう呼ばれていたので、自作の類似品全てをトラベル・バディと名づけている。
 幼稚園児となった姪へのちょっとしたプレゼントを探していて、インターネットで見つけたのが事の起こりだ。たまたま、いつもは覗かないハンドメイドのサイトを開け、視界に入ってきたのがそれだった。
 マッチ箱二つ分くらいの小さなブリキの缶に入れられた、手のひらよりもうんと小さなぬいぐるみだ。
 毛玉に、丸くて大きな耳がついている。ネズミに似ているので、付属の黄色い三角のフェルト片は、おやつのチーズのつもりなのかもしれない。缶の中はベッドになっていて、枕を頭の下に、毛糸のブランケットの中で行儀よく眠っている。
 ポケットに入れて持ち運び、旅先で遊ぶ用途であるらしい。
 わたしはこれまでままごとをしたことはないし、そんな年でもないのだが、なぜだか妙に気に入って、姪に贈る分とは別に、自分用の「相棒」も購入した。
 しばらく持ち歩いてみて、すっかりそれの虜になった。
 中身は一度も、取り出すことはなかった。けれどカバンの中に手を入れて、薄い金属が指先に当たるあの、安心というか満足というか、あの感覚がなかなか良い。
 自分でも、作ってみたくなった。
 ネズミに似た謎の生きものーー丸いファーに目が貼り付けられていて、手足はモールでできているーーは簡素な造りだが、残念なことにわたしには造形の才能がないので、そのままを真似することはできない。手芸といえば、中学校で作らされたエプロンがせいぜいで、それだって半分以上母に手伝ってもらって仕上げたのだ。
 トラベル・バディは蓋を開けると、内側に自己紹介文が書いてある。
 バディは旅をする生き物で……と簡単なシチュエーションが提示されているのが、人形遊びが好きな子どもの、想像力をいっそう掻き立てるのだろう。文はプリントだが、名前と好きなことだけ空欄になっていて、手書きで記入された文字が、ささやかな特別感を演出している。わたしのバディは『マクブール』という名で、好きなことは『鉛筆を削ること』。
 それを眺めていてふと、それだけで良いのではないか、と気がついた。
 缶の中に物質は、必ずしも必要ではないのだ。そこにあると言えば、それはある。ちょうど、小さな惑星の王子が地球にやってきて、紙の上に健やかな子羊を見出したように。
 それでわたしは、引き出しの中にとってあった小さな缶を引っ張り出して、その中に何が住んでいるのか、創造してみることにした。
 少しサビの浮いたこの容れものは、数年前に避暑へ出かけたイタリアの街角で贖ったものだ。中には、ハーブの飴が入っていた。
 アルファベットでありながら理解ができない文字の羅列、スミレと藍色の間くらいの中途半端な色も好ましく、美味しかった砂糖菓子の味を惜しんで大事に残してあったのだ。そんな風に、捨てるに捨てきれなかった空の容器を、わたしはいくつも溜め込んでいる。
 デスクの上に放置してあった手頃な付箋へ、まだ見ぬバディの特徴を記入していく。
 一枚にひと項目。追加があれば、一枚めくって缶の内側に貼り付けたメモの上に加える。
 どんな名前で、どこからきたのか。何が好きで何が嫌いか。将来なりたいものや行きたいところ、過去に犯した未だに罪悪感を憶える悪事、など。
 外見の特徴は、問題ではないので考えなかった。
 そうして納得がいくまで彼の情報を付け足して、最後の付箋をちぎり終わったとき、紙の束は缶の厚みと、ちょうど同じくらいになっていた。
 しっかりと封をするべきか迷ったけれど、閉じ込めてしまうのは可哀そうな気がして、結局ふたを閉めるだけにした。元々飴が入ってものだから、上下の箱はかっちり噛み合って、ちょっと振ったところで開くことはない。
 何日かそれをカバンに入れて持ち歩いた。
 実に良い気分だった。
 最初に購入したトラベル・バディも一緒なので、時々ふたつのブリキ缶はぶつかり合う。当たって立てるささやかな金属音さえ、悪くなかった。指先が触れた表面の、その裏側に小さな手が添えられているのを想像して、わたしはひっそりと口元をほころばせた。
 調子に乗って、いくつか同じようにして缶を作った。
 中身がないので制作自体は手頃だが、その代わり時間はたっぷりとかける。
 例えば好きな本や茶葉の銘柄など、前回のバディでは考えなかったけれど、持ち歩いてふと知りたくなった事項は、それを作るごとに増えていく。そうなると制作に数日、時には週を跨ぐこともあった。
 メモは書いてすぐ缶内へ収めていくので、前に考えた性格を忘れてしまい、後から加わった性質と矛盾が生じることもある。そうした場合もやり直しはない。背反を含め、「彼」なのだ。
 一時は、バディと一緒に入ってあるべきものも記述することもあった。
 毛布はなしで温かなフーディを着ているとか、主食の栗には時々虫食いが紛れているのが本当に気に入らない、等。しかし、これは次第にやらなくなった。容量的な際限がないので歯止めが利かないのもそうだが、いつかは失われるであろう限りある「物質」を、文字だけとはいえ缶の内容に含めたくなかったのだ。
 付箋の数が増え、缶を大きめの物にしたり、逆にメモ用紙を薄くて小さなものにしたりして、わたしのトラベル・バディは少しずつ進化しながら、着々と数を増やしていった。
 引き出しにとってあった空き缶は、全てバディが詰められ、もうない。
 毎朝出かける前に今日のバディを選び、帰宅すると引き出しに戻した。購入したトラベル・バディだけはずっと持ち歩いているので、表面の塗装が剥げて角少し凹んでいる。
 そのうち、手作りでも初期のものから、メモの糊が剥がれたのか、動かすとカサカサと音がするようになった。
 コンコン、カリカリ、コトン、コトン。微かなノックの音がする。
 わたしのバディは、外に出たいのだろうか。
 ぽつりと、そんな考えに及んだ。
 するともう、だめだった。わたしの愛すべき小さな生き物たちが、狭く暗い箱の中から、指先でブリキをひっかいている。一匹だけではなく何匹もが、爪が割れるほど必死になって。
 カリカリと、カリカリと。
 どうしようもなくなって、作りかけの缶を机の上に放り出した。
 それで最近、彼らを置いて出かけることがどうしてもできなくなってしまった。中身の紙が摩擦する音を聞きながら、最近のわたしは、どうすれば彼らを出してあげることができるのか、そのことばかり考えている。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。