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10.高貴の義務により跳ぶ十人

 あるところに貧しい土地がありました。

 もちろん、元から資源に乏しい場所だったわけではありません。そんなところに、ヒトは住みつこうとしないものですからね。

 初めは土壌が豊かな平原に、動物の多い森に程よく囲まれたところでした。海も遠くはありませんでしたが、とりわけ大きな河が南北へ走り、さらに山からの雪解け水が溜まってできた大きな湖を交差する、水も水産も豊富な土地だったのです。

 それがなぜ恵まれない土地となってしまったのかというと、そこに住む領主たちが高貴の義務により、そうしてしまったからなのでした。

 最初の領主さまは若くして未開の大地を与えられ、生き延びることに必死でした。僅かばかりの農民と痩せた馬でもって、やっと村の基盤を作ったところで、彼の人生が終わろうとしていることに気が付きました。

 何十年も働き続け、民たちがこれから豊かな生活を営むことができるのかできないのか、まずはっきりわからずに去ることが、領主さまはとても残念でした。彼は善良で領民を愛し、心から案じていたのです。

 そこで最初の領主さまは、湖と河が交わるところに住む悪魔に、せめてものお伺いをたてました。どうかほんの少しの間でも、民が食べるのに困らないように、手を貸してはくれませんか。領主さまのことをよく知っていた悪魔は微笑んで、では畑の上を飛び跳ねてご覧なさい。あなたが跨いだ畦の分だけ、小麦が育つようにいたしましょう。二つ返事で、そう約束してくれました。

 領主さまは頼んだ自分で半信半疑、なんせ悪魔が言うことなのですからね。それでも村の端にある粗末な畑の上、僅かに残った枯れた麦を、踏まないように跨いでぴょんぴょん、飛び跳ねてみました。

 最初の領主さまが踏んだ土は、柔らかく湿って黒くなり、足跡通りに麦が生えました。領主さまは大喜び、しかしおっとしょ、足を止めてはいけません。立ち止まってしまったら、もう麦は生えてこないのですから。

 最初の領主さまは村の周り、痩せた畑を踊って回りました。

 ですがもちろん、年をとって疲れた老人のことですから、早くもたくさんも跳べません。それでも、高く跳ぶだけ麦が育つので、領主さまはできるだけの力をふり絞っていきました。途中で足が折れました。血が引いた目は見えなくなり、上がっていくべき呼吸は、だんだんか細くなっていきました。

 三日三晩跳ね続け、最初の領主さまは領地の端の川べり畦まで来て、跳ぶのをやめました。そしてそのまま、ひっそり息を引き取りました。葬儀では盛大に、たくさんのパンが焼かれたと言います。そして最後の功績の、川べり畑に最初の領主さまは惜しまれて埋葬されました。

 そうして実りが豊かになった土地ですが、数年のうちに病気が出て、麦は枯れてしまいました。

 そこで最初の領主の三人の子ども達が、民を治める者の義務大義のため、また悪魔にお伺いをたてました。最初の領主さまの功績を認めていた悪魔は、その子らを見捨てることが出来ず、彼らにどうしたいのかを訊ねました。

 一人はまた、麦が育つように願いました。二人目はそれでは同じ病気にやられてしまうと思い、別の丈夫な農作物を求めました。そして三人目は、それでも困ってしまった時のため、金になるものを望みました。

 金の髪も美しい悪魔はまず、長男が飛び跳ねたところに麦が生えるまじないをかけました。長男はしかし、甘やかされ太った子どもであったので、一刻も飛び跳ね続けることはできませんでした。それでも畑の三分の一ほどには、麦が実りました。

 そこで二人目が飛び跳ねて、残りの土地へ丈夫な芋を生やそうとしました。

 この子は傲岸な長子と甘え上手の末子に挟まれ、それなりに真面目であったので、成果を出そうと頑張りました。残り全部の畑ではありませんでしたが、奮闘の甲斐あって、ほとんどの畑に芋が育ちました。ですが丈夫な蔓がどんどん土の栄養をとってしまうので、長男の麦は枯れてしまい、二人は喧嘩になりました。

 芋があるだけ気が楽な末子は、足取りも軽やかに畝を飛び跳ねました。

 足跡が、ダイヤモンドになりました。歌いながら跳んだので、すぐに息が切れてしまい、畑を一回りしかできませんでした。それでもできた金剛石は水より澄んだ上物で、大きな塊に人々は喜びました。

 ところが次の晴れた日の朝、ダイヤモンドは日光を集めて火をつくり、畑をすっかり焼きました。当然自身も燃えてしまい、すっかり煤になってしまったのです。三人の子どもは呆然自失、喧嘩する気力もありません。


 三人の子どもには二人ずつ、最初の領主さまの孫が六人おりました。

 あとは云わなくてもわかりますね。彼らはまた、水辺に住まう白い肌も華奢な悪魔に、願い事をしたのです。曰く、近年の領地の災難の一端は、まじないをかけた彼女にもあるので、協力するのは当然であるとのこと。まったくヒトの、なんと厚顔なことでしょう。

 しかしながら、麗しの悪魔は無礼な孫たちにも寛容でした。

 先代までと同じく、一人ひとつの願い事を、拒む素振りもありませんでした。条件はいつも同じ。足の力と心が続く限り、彼らの望みは思うがままとの約束です。

 それで最初の領主さまから数えて五人目が、まず金を手に入れました。黄金です。彼が自らを最も賢いと自尊していた通り、確かにその輝く貴金属は、古今東西安定して価値のあるものでした。

 ただし無駄な労力はばからしいと、数センチ足底を浮かばせた跳び方だったので、土は細かな砂金になりました。風に飛ばされ畑に混じり見えなくなって、その上ただでさえ乏しい農作物を駄目にしました。

 六人目は単純に住民が豊かに暮らせる街を望み、これは本当の愚策でした。

 飛び跳ねた下に建ち上がった家々は確かに素晴らしく、町並みを碁盤に走る石畳の通りも文句がつけようのない出来でした。でもそれは、人が入れる大きさであったらの話です。どんなに精工でも手に乗るほどでは、ただの模型でしかありません。畑と土が、失われただけでした。

 七人目は黄金を選んだ孫の弟で、この子は銀を欲しがりました。ただし、兄よりも飛び上がり、岩のような塊を手に入れました。これも余り、賢い選択とは言えません。確かに金よりは軽く、加工も容易でしたが、瞬く間に土壌を汚染し、水を毒に変えました。

 領地ではこれ以上、糧を得ることは望み薄でした。

 八人目が飲める水を、九人目が再び麦を歎願し、領民の罵倒の中、高貴な義務を背負った二人は跳び狂いました。しかし、それは一時しのぎに過ぎませんでした。飢えと乾きに命尽きた領民が溢れ、人心の荒れるままに諍いが起こりました。埋める穴が間に合わず、遺体は畑の跡地に並べられました。

 汚れた湖を捨て去る前、悪魔はせめて最後にと、十人目の願いを叶えてあげました。

 一人残された孫は幼く、まだ高潔の意味がわかりませんでした。ですが正しさは知っていたので、優しく儚げな悪魔に一族の無礼への謝罪と、真心を込めた感謝を告げました。悪魔は最初の領主を思い出して、その子を一人荒地に置いていくことを、心から苦しく思いました。けれどもその細腕で、なけなしのまじないを与える以上に、いったい何ができたでしょう。

 最後の領主さまが跨いだ遺体が、幸せな領民として起き上がります。

 一人、また一人とその上を飛び跳ねては、生き返った民に、最後の領主さまは繰り返し言い聞かせます。さあ、立ち上がって早く、ここから逃げなさい。

 一人、また一人と領民が蘇り、主の言に従いました。孤独で幼い領主さまは、足を止めず何日も何夜もかけて、全ての領民を幸せにしました。息が切れ、足が折れました。喉が渇いて汗がでなくなっても、動きを止めることはしませんでした。

 領地の果て、川べりの畝まで跳びきって、最後の領主さまはひっそりとその任を終えました。そこに眠っていた最初の領主さまが起き上がり、小さな孫の躯を抱いて、どこかへ行ってしまいました。

 そして後には、貧しい土地が残ったのでした。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。