7/18 「タピる」って言えない

 自分は、若者の側ではなくなってしまった、と思った。

 月曜日、タピオカミルクティーを飲みに行った。その行為を、若者言葉で『タピる』ということは知っている。でも、自分のやったことは、『タピった』ではなく、あくまで『タピオカミルクティーを飲みに行った』だな、と思った。

 若い子たちが言っているぶんにはいいのだ。かわいいと思う。若者言葉だ。若い子たちが自分たちの世界観を共有するために使っている言葉だと思う。自分もあと10数歳前だったら使っていたと思う。だけれども、今の自分は、その世界からはもう離れてしまった。今の自分が「タピろう」とか言うのは、イタいというか、みっともないように感じる。無理しているかんじ。

 自分が『若者』の範疇に入っている頃、似合わない若者言葉を使って若者にアピールしているおじさんを「ダサいな……」と冷ややかに見ていたけれど、時が経って、いつの間にか自分もあの頃のおじさんの側に立っている。誰のことも気にせず「タピった」って言ってみたらいいのに、それをためらうのは、若者だった頃の自分の目線が今の自分に冷ややかに突き刺さるからだ。立場逆転。因果応報?

 いわゆる『若者言葉』を使う、若者じゃない人たちには、4パターンありそうだ。まず、若者言葉を使ってもまったく違和感のない人。『精神的若者』とでもいうか。これはレアキャラ。次に、『若者コスプレ』というか、自分が若者の世界の住人じゃないことは十分理解した上で、でもちょっと若者の世界を楽しみたい、旅行者というか借り物感というか、「ちょいとおじゃましますね」感のある人。これは「あぁ、どうぞ~」みたいなかんじで若者にも受け入れられる感がある。あと、自分が若者じゃないのは自覚した上で「若者世界ではこういう言葉が流行ってるんでしょ」みたいな『若者理解してます』感のある人。これは、なんだかすり寄っていっている雰囲気があって若者に受け入れられづらい、気がする。若者だった頃の自分が冷ややかに見ていたのも多分このタイプの人だ。最後に、もう若者世界の住人ではなくなっているのに、その自覚がなく普通に若者言葉を使っている『勘違い若者』。若者世界にも受け入れられず、気持ち悪がられているっぽいのに、本人は気がついていないパターン。ある意味しあわせ?

 うまいこと『若者コスプレ』として振る舞えて若者側にも受け入れられたらいいのだけれど。『若者理解してます』タイプと紙一重で、難しそうだ。その2つのタイプの差はなんだろう。愛嬌かなぁ。あと普段のキャラクター?

 「タピる」ってすごい言いたいみたいになってる気がするけれど、そういうわけじゃなくて、「思えば遠くまできたもんだ……(遠い目)」みたいな気持ちになった、ということが言いたかった。し、なんならそもそもそういうことが言いたかったんじゃなくて、『初めてゴンチャ行ってブラックミルクティー+パール(タピオカ)飲んだらとてもおいしかった。旦那さんはジャスミングリーンミルクティーが気に入ったようだ』ってことが書きたかった。でもある程度気が済んでしまった。気が向いたら日を改めて書くことにする。

 若者言葉、『よき』っていうのも使い勝手よさそうでいいよね。うらやましく思っている。けれど、自意識が邪魔して使うには至っていない。


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