母のいない母の日
3年前の母の日は5月7日だった。
この時は、この日は、
まだ、奇跡はないだろうか
奇跡はないだろうけど、奇跡を切実に願っていた。
奇跡というものに縋りたかった。
SNSの記録によると
2年前は函館まで一人で行っていた。
そう、あの頃はゴールデンカムイにハマって北海道へ何回も行っていた。
聖地巡礼。
まだコロナ禍だったのもあったけど
手軽に行けたのが北海道だった。
1年前は月島で米粉のもんじゃ焼きを食べに行っていた。
案外楽しそうにしていたではないかと驚いたが
違う。
思い出した。
2年前は、北海道へ行っても部屋から出ず
1年前の、もんじゃ焼きは帰ったら吐いていた。
最近はだいぶ無くなったが
私は、過度なストレスを感じるとゲーゲー吐いていた。
何かを思い出しても吐いていた。
人間の言動に気持ちが悪いと感じたら吐いていた。
便器見ただけで吐けるほどに吐いていた。
そして、どこへ行っても観光するほどの余力がなく部屋にいた。
でもやりたいこともあるにはあったので、
延泊して何とか旅行らしいことをしていた。
そう考えれば、この1年で逞しくなったような気がする。
というより、母が亡くなった後に人間関係の断捨離もして
より引きこもり、なるべく人と関わらないように徹底したのだった。
これは社会的に見たら不健康なのだろうが
少しは眠れるようになった。
何かあればクヨクヨウジウジするが、
何かが起こることが少なくなったので穏やかでいる。
私が生きていくためには、そうするしかなかった。
と、日常が変化したことを母の日に気がついた。