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(14)3章1節-6節【正しさではなく愛を】

(マルコによる福音書‬3章1節-6節)
1イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 2人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 3イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 4そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。 5そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 6ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。


「安息日に何もしちゃいけない説」の続き。

ファリサイ派の人たちがイエスを試そうとしている。彼らの律法では、安息日に病人を治すことは禁止されていた。しかし、命の危険があるときは助けてもよいいのですが、手の萎えた人はそれには当てはまらないという判断なのだろう。

そんな、彼らの心を見抜いたイエスが言った。

安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。

正義を持った一言はカッコいい!

たった一人のために心を尽くして向き合うイエスの姿。怒りと悲しみがあったとも書いてある。聖書を読めば読むほどイエスのそんな姿が書かれている。

何よりも安息日の主はイエス自身だ。

ファリサイ派の人々とヘロデ派の人々は、心からの愛を持って行動したイエスでさえも気に入らなかった。

愛よりも自分なりの正しさを優先している。彼らにとってはイエスは間違っており、間違っていることは悪であったのだ。

愛が冷えていくように感じる時代にこそイエスのように愛を輝かせ続けたい。


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