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(9)1章40節-45節【心にふれたイエス】

(マルコによる福音書‬ ‭1章40節-45‬節)
40さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。 41イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、 42たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。 43イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、 44言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」 45しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

「‭‭心に触れたイエス」

当時、重い皮膚病にかかっていた人は、家庭をなくし、社会から隔離され、誰からも相手にされない状況にあったそうだ。

どれほど孤独であり、人に相手にされないことでの傷があったのだろうか。

そんな彼のもとにイエス・キリストが来た。

彼の発言を見ると、イエスであれば自分を癒すことができると信じていたことがわかる。彼が信じていたのは皮膚病の癒しについてだ。

それ以上の癒しが彼に訪れことになる。

イエスは言葉を発するだけでも癒すことができたはずだ。でも、イエスは彼に手を触れ癒します。当時、皮膚病を患った人にふれると汚れると言われていた。そんな自分に触れてくれる人なんていなかった。

イエスは触れた。

彼の皮膚病は癒やされたことはもちろん。
心が癒やされたのだ。

イエスの愛は病の癒しと共に一番深い心の奥底まで触れてくださるのだ。


そしてイエスは彼に二つのことを言った。
■誰にも話さないように
■祭司に体を見せること


祭司に体を見てもらい、清められことを宣言してもらうことで社会復帰が可能となるということが旧約聖書に明確に書かれている(レビ記14章)。

イエスの癒しは、病気の癒しがあり、心の癒しがあり、社会復帰をさせてくれるすばらしい奇跡であったのだ。

この話を読むたびに、イエスさまの愛はいつもいつまでも私の生き方の模範だ。人の心に触れる憐み深い愛の姿。私は同じように病を癒すことはできないけれど、人の心に寄り添おうとすることは出来るのではないか。そんなことを思い嬉しくなった。


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