(5)1章16節-20節【イエスさま漁師を弟子とする】
(マルコによる福音書1章16-20節)
16イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。 17イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 18二人はすぐに網を捨てて従った。 19また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、 20すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。
イエスさま漁師を弟子にする
イエスに声をかけられた4人の男性。
のちに12弟子と呼ばれる人たちだ。
・アンデレとペトロ(二人は兄弟)
・ヤコブとヨハネ(二人は兄弟)
みんなイエスさまに声をかけられて、応じた。仕事の引き継ぎや生活のことなどはどうしたのだろうか。おそらく、そういうことは全く考えずに従ったのだろう。
なんてったって、誘い文句がすばらしい!!
わたしについて来なさい。
人間をとる漁師にしよう。
まだよく知らないイエスという方にこう言われたとしたら、自分はついて行くだろうか。
彼らはついて行った。
人生にチャンスはたくさんある。
しかし、そのチャンスはその瞬間にしかない。
そのチャンスを掴むかどうかがその後の人生を分けるということは後になってからわかることだ。
彼らはチャンスを掴んだ。
まさに、イエスに出会い人生が一変した。
(ボクもイエスに出会って人生が変わりました)
イエス・キリストに目を向けてみる。
彼の3年半の十字架にかかって死ぬまでの間で最も多くの時間を過ごしたのが彼ら弟子たちだ。人々に寄り添い、病を癒し、福音を宣べ伝えることを共にした。
そして、寝食を共にし続けることが一つの使命でもあったといえる。良きも悪きも全部見たはずだ(悪いところはなかったと思うが…)。
ずーーーーーっと一緒にいながらもそれでもすばらしいと思われるイエスキリストってすごいなと。
個人的な考えを少し。
イエスは決してキリスト教を作ったわけではない。イエスさま大好きでイエスのように生きたいと願う弟子たちが育っていったのだ。そして、そのような人たちの集まりが教会となった。
いつの頃からか、そこにシステムが導入され制度ができてキリスト教というものになっていった。もちろん、そうなるに至る充分な理由があった。迫害の歴史があり、内部でも色んな信仰を脅かすような考え方が入ってくることがあったからだ。自分たちを守るためにシステムや制度が必要でもあった。
だからこそ、伝統や制度というキリスト教ではなくイエス・キリストそのものを大切にするクリスチャンとしての生き方をもう一度考えたいなと思った。
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