見出し画像

(27)5章21節-34節【癒されることの本当の意味】


(マルコによる福音書5章21節-34節)
 21イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。 22会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、 23しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」 24そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
  大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。 25さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。 26多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。 27イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。 29すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。30 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。 31そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」32 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。33 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

‭‭

イエスのもとにヤイロという人物が訪ねて来た。イエスはヤイロに自分の娘が今にも死にそうだから助けてくれと言われ、そこに向かい始めた。

その途中で、一人の女性と出会った。その女性は12年間も出血が止まらないことで悩み苦しんでいた。

この聖書に書いてある病名がなんであるのかは分からなかった。ただ現代でも、近い症状のもので"血友病"というものがある。そして、この治療法が確立したのも本当に最近のことだそうだ。

この女性の苦しみはどれほどのものであったのだろうか。
この症状での苦しみがあり、その他にも、治療をしても治らずさらに悪くなったともある。おまけに財産も全部なくなった。

そして、ここには直接的には書かれていませんが、もう一つの苦しみがあった。

それは、病気を持っている人に対する偏見だ。ユダヤ社会で排除された環境で過ごさざるをえなかった孤立はどれほどのものだろうか。

そんな彼女は藁にもすがる思いでイエスに触れたのだ。そして癒された。

ここからのイエスとのやりとりにすごさを感じた。

ここには三っつの癒しがあった。

一つ目はもちろん病の癒しだ。

二つ目、

イエスはあえて聞いたのだろう。
「わたしの服に触れたのはだれか。」

その女性は恐ろしくなったのもあり、勇気を出して名乗り出た。
このイエスの問いかけに答えたことにより、勝手に触ってしまったという心のわだかまりも解消されたであろう。

三つ目、
イエスのこの言葉だ。
「安心して行きなさい。」
‭‭
この『安心して行きなさい』という言葉は、その女性が癒されたことを公に宣言することでもある。今まで社会で孤立していた彼女が社会に回復されたのだ。

イエスの愛ある癒しは、ただ症状が消えて終わりではない。その先までも備えてくださるのだ。

一人の人が生涯にわたって喜び生きることを神さまは願っている。

私たちの人生そのものを癒し、回復をしてくださるイエス。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?