料理をすることはすでに愛している
誰かと食べる食事は格別に楽しい。
それが気のおけない家族や友人であればなおさらだ。ついでに美味しいものであれば言うことなしだ。
料理は小さい時からする機会が多かったので、不自由なくやってきた。
貧乏学生だった時に、美味しいものを安価に再現するのが好きで自分のために料理をした。でも、自分のための料理はけっこうすぐに飽きて、学食で食べる外食がほとんどになった。
料理が楽しくなったのは20代後半にうつを患い実家で久しぶりに暮らすようになった時だ。
毎日休んでばっかりでやることも特になかった。
ある日、ご飯作りをしたところ、「おいしい」と両親がとても喜んでくれた。
それならばと、作る機会が増えていった。
食べて美味しいと言ってくれる人の存在がこんなにもありがたいのかと思った。料理は作るだけでなく、食べてくれる人がいて完成する。
結婚をし、子どもが生まれ、食卓を囲みながら「おいしい」と言い合える環境が何よりも幸せだと強く感じるようになった。
最近は、たまにしか作らないが…食べる人の幸せな顔を想像しながら、買い物をし、下ごしらえをし、料理を作る。できたて熱々を食べて欲しいと思って、盛り付けや出すタイミングもそれなりに気にしながらテーブルを準備する。
皆が席につき、いただきますを言う。
ちなみに我が家のいただきますは、
皆で手を合わせて、
「神さま感謝していたただきます、アーメン」だ。
今日の食卓を準備した人は、相手がひと口目を食べるや否や「どう美味しい?」と急かしながら聞くことが日課となっている。
最近の我が家のブームは、特売の海老が売り出されてたら買っては冷凍庫にしまい込むことだ。そして、エビフライが食べたくなると作る。この前は、ディップ式エビマヨを作ってみた。エビの美味しさで食卓が笑顔になる。
その日もお皿を洗いをしながら、
土井善晴さんの著書の一節を思い出した。
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