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(19)4章1節-9節【耕されたところに福音の種を】

(マルコによる福音書‬‭4章1節-9節‬) ‭
1イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。2 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 3「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。7 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。 8また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」 9そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。


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種まきの例え話。
聖書のちょっと後にイエスご自身がこれについて解説してくれている。

今回は自分で解説してみる(笑)。

種を蒔く人とは、神の言葉を蒔く人のことだそうだ(イエスが言ってました)。

簡単に言うと、どこに蒔くかがとても大切だと話。

正直な話、適当に蒔きまくることが大切だと思っている時もあった。
生えない地に蒔かれた種は誰かが拾って片付けなければならないと思う。

ボクの経験を書く。
10年前は道行く人に話しかけて聖書の話を聞いてくれる人は結構いた。10人に1人くらいは聞いてくれました。2年半前にもやってみた。道行く人500人くらいに話しかけてみた。なんと、、、聞いてくれる人は1人もいなかった。1人も。

勘違いして人のせいにしてはいけないと思った。人の心が頑ななのではなく、問題なのは耕していない場所に種をまいている自分を改めるべきだと強く思わされた。

人の心を耕すものは愛と配慮ある言葉だと思っている。後は美味しい食事。

聖書には、聖書の言葉を伝えなさいと書いてある。
でも、大前提として愛を持ってというのが付け加えられると思う。

ちょっとだけ皮肉を交えて書いておく。

耕すこともせずに、SNSという場所に福音の種をまくクリスチャンたちがあふれている。SNSに種を蒔くことが悪いというわけではなく、どうせ蒔くのなら耕して良い土地にしてから蒔くのがいいんじゃないかなと思っている。

砂漠に緑をあふれさせようとする、すばらしい活動をしている人たちがいる。砂漠に草が生えることは並大抵の努力ではできないことは誰もが知っている。な・ぜ・か、SNSだと丁寧さが失われているクリスチャンの発信が目立つ気がする。伝わる発信にするためには努力する必要がある。


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